お天道様はお見通し

雑記

Vol.1-7.16-184   お天道様はお見通し
2020.07.16

政府は、仮釈放中や執行猶予中の性犯罪者を対象にGPS端末の装着義務化を検討する方針を関係府省会議で決定した。とあった。

決定遅しの感はあるが、まずは良かった。
しかし、性犯罪者だけかい、と思う。もう少し範囲を広げても良いように思うが。
仮釈放の人間が何度逃走したことか、あるいは事件にからんできたか。特に再犯者には厳しい監視が必要ではないかと思うが、いずれにしても早く実行していただきたい。

面白いね、この手の話には必ず人権派?と呼ばれるメディアが騒ぎ立てる人権問題だ。
いつも思うが、そこには被害者や、あるいは善行ある一般市民の目線はない。
あなたはどっちを向いているんですか?と問いたくなる。

案の定
<京都新聞>
「有罪確定者に新たな罰を科すことになりかねない」

<信濃毎日新聞>
「更生をめざす人の人権侵害になってはならない」

と両新聞社はおっしゃる。

そこまでおっしゃるんであれば、人権派新聞社やメディアは、「人権を守る・犯罪者更生施設」を共同出資して設立し、責任をもって更生させるための犯罪者支援組織でも作ったらどうなんでしょうか。

そこで素晴らしく更生した人間のサクセスストーリーなどを発表して、人間の素晴らしさを世間に知らしめ、さらに多くの犯罪者の将来に好影響を与えていく。

何とも素晴らしいではないか。そんな壮大な取組を是非期待したい。

産経新聞は違った。
「悲惨な事件はもうたくさんだ。少しでも効果が望めるなら導入を躊躇すべきでない。真に守られるべきは未来の被害者の人権である」
「監視されることで対象者が自分の意思で行動を制御する効果も報告されている」

とし、軸足を被害者においた。

そこで、面白い話が載っていた。
英国の哲学者ベンサムが考案した刑務所の監視システムだ。

「施設の中央に監視塔を設け、塔を取り囲むようにドーナツ状に多数の独房を配置する。

独房の窓はどれも塔に向けられ、塔の監視所にいる看守がそれぞれの窓を通して全ての囚人の様子を一望に収められる仕組みになっている。

だが独房からは看守の動向が一切見えないため、受刑者は看守が実際に監視しているかどうかが定かでないにもかかわらず、常に「見られているかもしれない」と意識し、「悪い行為はできない」と自発的に己を律するというのだ。

目に見えない視線を自己の内部に持つことで自らを律する。素晴らしいではないか。

習慣というのは恐ろしものだ、その習慣が善き習慣であればそれに優るものはない。

日本も昔から「お天道様がみておられる」悪いことはできないよ。
人が見て居なければ、ポイっとゴミを捨てる。しかし、善行が習慣として身についている人は、その悪業がずっと心に残って苛む。ジイもそんな思いをしたことがある。

「道徳」や「倫理」に該当する英語はともに、「習慣」を意味するラテン語やギリシャ語に由来するそうだ。
昔から「一日一善」といって善行を習慣づけることを奨励した。実にいいことではないか。一日一善、良いことをすれば、気持ちが良い。それが子供の頃から習慣として成長すればきっと善き社会に貢献できるだろう。

いつの間にか、学校に「二宮金次郎」の石造がなくなったように。昔のことを古臭いというニュアンスで忌避してきた。残念だ。誰かが主導したのであろう。

ところで、現代はキャッシュレスの時代。そのための登録には当然だが、住所・氏名・電話番号はおろか生年月日すら登録されている。
スマホの情報により、コロナ禍においてはGPS機能を利用し移動データがはじきだされた。否応なしにすでに個人情報は利用されているのである。

ということはすでに一定の監視を受けていることになる。このことにおいて人権を盾に声を大にしての言論はあまり聞かない。

プライバシーを極度に侵害しない範囲で大いに活用すべきである。
情報に助けられ便利を享受するものの承認リスクとして許容しなければならないだろう。

日常生活において、犯罪者だけではない。事あるごとに私たちはこの「お天道様はお見通しだ」との言葉を思い起こすことは決して無駄ではない。

昔は、昔はと言いたくないが、昔の人は良い言葉を残したものだ。

先人に見習う事、実に多しだ。

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Posted by 秀木石