文科省の不作為
Vol.2-2.10 393 文科省の不作為
2021.2.10
戦時中に存在しなかった「従軍慰安婦」という言葉。今なお国会で糺さなければならないという悲しい日本の現実。
2月8日の衆議院予算委員会で、日本維新の会の藤田文武氏の「慰安婦」をめぐる表現についての質問に、加藤官房長官は「従軍慰安婦」という表現は使用していないと答弁した。
であれば何故、子供が習う大事な教科書に「従軍慰安婦」という表記が復活したのか!重要な問題である。
これに対して萩生田光一文部大臣は「教科書検定が適切に行われた結果、当該図書は検定に合格した」と語った。
実にあやふやな発言である。
閣内において国家意思が明確に統一されていないことこそが国民の不満や不安となるのだ。
国家の威信に関わる問題である。文部大臣自らが教科書において、過去になかった「従軍慰安婦」という言葉を使用してはならない。と言わなくてはならない、何も間違ったことではない。日本にとっても、将来の子供に悪影響を及ぼしかねないことを教えないで済むわけである。何の不都合があるのか不思議でならない。
文部大臣の不誠実な態度に腹が立ってトサカに血が昇った。
政府は “ 言葉として使わない ” が教科書ならいいということか。
如何に教科書が重要視されていないかが露見した象徴的な答弁である。
国家を愛せない日本の国会議員、外交すべてに共通する弱点である。
前安倍総理が戦後レジームからの脱却を唱えてはみたものの “ 笛吹けど踊らず ” が今の自民党の実態である。
産経新聞、一部の雑誌、櫻井よしこ氏らのシンクタンクなどの保守論壇がどんなに頑張っても今の日本はどうにも変わらない。
新聞界は未だに朝日、毎日、中日東京やその影響下にある全国の地方紙。それに付随するテレビを始めとするマスコミもどちらかといえば左傾色に染まっている。
国会議員は国家を思うことよりも生活の安定と名誉を兼ね備えた国会議員の魅力にしがみついている議員の多いことよ。選挙違反、脱税、賄賂、買収、利権に絡む不正。日々の事件は日常茶飯事である。
百田尚樹氏が「百田尚樹の日本国憲法」の中で、「自民党の国会議員の中で、本気に憲法改正をやりたいと考えている人間は、実はほとんどいない、・・・」と断言した。が事実であろう。
さらに「旧民主党や共産党の議員は10割クズ、自民党の議員は8割クズ」と言い放つ百田氏。、、、、国会議員は名ばかり、国のことを考えている人間がいないのである。
政権を担当している自民党の大臣も命をかけて日本のためにという心意気は、確かに感じられない。
「従軍慰安婦」問題に戻れば、1月28日「新しい歴史教科書をつくる会」は「歴史教科書に “ 従軍慰安婦 ” なる記述の削除を求めた。
文科省は「教科書用図書検定調査審議会の学術的・専門的な審議の結果、検定意見は付されなかったので、記述の訂正を勧告することは考えていない」と木で鼻をくくったような回答である。
政治が自信をもって国家を主導できない不甲斐なさ、日本を愛せない政治家の姿である。国会の日々は政局がらみ “ 国家に命をかける ” 姿勢が見てとれないことこそが、日本国民全体を意思薄弱にしている原因のような気がする。
子供の夢に “ 末は博士か大臣か ” そう言われた時代もあったのだ。
国家を正しく導く使命を欠いたという点において、大臣は≪不作為の罪≫にあたるのではないか。