荒廃乗り越えた “ 仰げば尊し ”

日本,雑記

Vol.2-3.7 418     荒廃乗り越えた “ 仰げば尊し ”
2021.3.7

卒業シーズンである。

昭和55年当時から平成の10年頃まで、特に中学校の卒業式が荒れたことがあった。

合わせて、国歌斉唱に起立しない、卒業式に国旗を持ち込ませないなど、日教組教育による弊害も顕著であった。

新聞に投書した中学校の校長先生は、自校の荒れた中学校で、生徒自ら立ち直った姿を卒業式で見せてくれたことに感動。その興奮冷めやらぬままに投書されたのではないかと思えるような感動的な話である。

ちょうど20年前の今日、3月7日の新聞記事である。全文を紹介したい。

荒廃から脱しての涙の「仰げば尊し」』(2001.3.7元中学校校長 根本茂71)

『私は教職最後の卒業式を決して忘れることができない。

めったには経験できない深い静寂。それこそ、自らの鼓動が聞き取れるほどの静けさの中で、式は粛々と進行した。

卒業証書を授与する場面で、生徒たちは背筋を伸ばし、目を真正面に見据え、しっかりと姿勢で行動した。

やがて校長式辞。私は、話すべき文章をすっかり記憶していたので、原稿は持ち込まず、卒業生一人ひとりの目を見て、語りかけるようにゆっくり話した。生徒たちはそれをきちんと受け止め、真剣に聞き入った。

荒れ狂っていた2年前、私が着任した当時には想像もできなかった卒業式である。荒廃から見事に脱出し、再生をとげた彼らを、私はたたえた。最後は英国パブリックスクールの校長式辞にならって、人は失敗も避けられないが、どんな場合でも卑怯な振る舞いのないように、という意味の言葉で結んだ。

君が代も校歌も、一同、一生懸命歌った。しかし、いよいよ「仰げば尊し」になったとき、生徒たちは感動に襲われて、声が出なかった。その時、先生たちが加勢し、やっと歌い終えた。

式の最後には、生徒たちがこの一年の間に実現した全校合唱の中からいくつかを歌った。最初はまだ、「仰げば尊し」の感動を引きずっていたが、流れる涙を、もうはらおうともせずに、これまた二年前には想像もできなかった、すてきなハーモニーを響かせた。

こうして彼らは卒業式で無限の静寂と大きな感動を味わった。これを古くさいと人は言うのだろうか。でも、卒業式というのは、最後の、しかも重要な教育の場なのである。楽しい、子供主体の卒業式とは、それ自体が矛盾した言い方である。

楽しい場面はあってよいが、それは式ではない。静寂と感動はその日突然に味わえることではない。教職最後の卒業式では、不可能だとだれもが思っていた荒廃からの脱出、再生を成し遂げた内なる誇りがあったからこそ、私にとって忘れることのできない卒業式ができたのだ。

卒業式を前にまた、いろいろな意見が出るのだろうが、卒業式は教育の場であるという厳然たる事実をに立っての議論であってほしい』

というものであった。
「仰げば尊し」になったとき感動に襲われて、・・・とあったが、実にリアルにその情景を思い浮かべることができる。ジイの中学校の頃は、実に平穏な中学校生活を送ったが、それでも多くの生徒が「仰げば尊し」で泣いた。

根本先生のように特別な体験後の卒業式である。その感動は生涯の宝であろう。
最近の卒業式はどうなっているのかジイは知らないが、そのような報道がされないということはずいぶんと落ち着いてきたのであろうか。

卒業シーズンになるとやはり思い出すのは「仰げば尊し」である。
根本先生のおっしゃる通り、厳粛な「式」である。「国歌」と「仰げば尊し」が歌われ、義務教育のケジメをつける卒業の「式」であってほしい。

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Posted by 秀木石