シリア内戦10年

世界,日本,雑記

Vol.2-3.18-429     シリア内戦10年
2021.3.18

中東というのはなかなか理解できない。
シリア内戦10年と言われても、昔から宗教にまつわる民族間の紛争がず~と続いる印象がある。10年と言われてもピンとこない。いつ始まったのかさえすでにぼんやりである。ただ、中東は不安定で危ないという印象が完全に定着したことだけは間違いない。

思い出すのは、確かシリアだったと思うが、2名の日本人が過激派組織ISとみられる武装集団に拘束され。身代金およびISに関係のある死刑囚の釈放を要求する犯行声明が出された後、2名とも殺害されたという記憶が残っている。

そんな事件があったと思い出すだけで、依然内戦状態のまま危険な地域という印象で今日に至っている。

そう言えば、2年前にアフガニスタンで、緑化事業などに取り組んでいた中村哲医師が殺害された事件は記憶に新しい。

そもそも「アラブの春」といわれる所以から理解しなくてはならない。

ことはジャスミン革命にさかのぼる。
今から11年前、2010年から2011年にかけてチュニジアで起こった民主化運動である。

2010年、チュニジアのベン・アリー政権の腐敗、政治体制、支配層による横暴を糾弾する動きから始まる。

2010年12月17日事件は起こった。
一人の露天商の青年が、販売の許可がないとして地方役人に野菜と秤を没収されてしまう。秤がなければ営業もできない。取り戻すために何度も抗議に行ったがらちが明かない。それどころか賄賂を要求される始末。

ついに青年は絶望を抱き県庁舎前で焼身自殺を図ったのだ。
イスラム教を含むアブラハムの宗教は自殺することを禁じている。フェイスブックで広がった映像は世界に「大きな衝撃」を与えた。

青年の焼身自殺事件に端を発した反政府デモは国内全土に拡大した。軍部の離反もあり、アリー大統領がサウジアラビアに亡命する事態に発展、23年間続いた政権が崩壊したのである。

ジャスミンがチュニジアを代表する花であることから、このような名前がネットを中心に命名された。

中東諸国にこの種の不満がたまっていたのであろう。民主化運動はチュニジアにとどまらず、エジプトなどほかのアラブ諸国へも広がり、各国で長期独裁政権に対する国民の不満と結びつき、数々の政変や政治改革を引き起こした。こうした一連の動きがその後、アラブの春と呼ばれたのだ。

シリアにもにも波及した反政府デモ、しかし同国のアサド独裁政権はデモ参加者を徹底弾圧し、今に至る内戦へと発展した。

この10年で約40万人以上が死亡、一千万人以上が避難民となった。今なお圧政は続いており、最近では住民を不法に連れ去る「強制失踪」が問題視されている。

一時はイスラムスンニ派過激組織「イスラム国IS」が毎日のようにニュースになったが、その後日本人も中東を敬遠し近寄らなくなったのか日本人がからむ事件もなく中東への関心は低下した。

しかし実際はロシアの介入などもあり内戦は続いており、「第二次世界大戦以降で最悪の人的災害」と言われている。

住民を不法に連れ去る「強制失踪者」は8万人を超えると言われ国際問題にも発展、強い非難にさらされている。

しかし、この不法拉致による性暴力、拷問によって死に至らせる悪行は政権側に止まらず、自由シリア軍、ISも同様で、さながら国家全体が恐怖の地獄絵そのものに陥っている。こんな世界が今も現実にある。

シリアの人口は約2000万人その半数にも及ぶ1000万人が避難。生活さえままならないこの地獄からの脱出は当然であろう。
ロシア、アメリカ、トルコが介入するが、宗教や民族紛争がからむ。終息は簡単ではない。

改めて、日本の平和の有り難さを感じる。

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