同性愛に同性婚

日本,雑記

Vol.2-3.20-431     同性愛に同性婚  
2021.3.20

昭和の時代、ジイのあやふやな感覚だが「同性婚」など、そもそもあり得ないこと、同性愛については、「ホモ」や「ゲイ」という表現で「ちょっと気持ち悪い人」程度の認識であった。

平成になってから、いわゆるジェンダー思想が欧米から入り、フェミニストたちの活発な活動が功を奏し徐々に市民権を持つようになったような気がする。

パフォーマンスとして一部の扇動者が受付拒否を知りつつも役所に婚姻届を出し、拒否されたことを大きく報道する。その報道をきっかけに世論を形成していく。その行為を何度も繰り返すことによって、マスコミや左翼ジャーナリストの支援を受け世論の醸成を図っていく。

いつの頃からか、どこかの役所が同性婚を認めることが報道されると、否定的意見よりも革新性に注目され、肯定的に報道されるようになった。

今まで日陰の存在であった「ホモ」や「レズ」「ゲイ」と言われていた人がLGBTといういかにも医学用語のような単語で表現されるようになり、セクシュアル・マイノリティ(性的少数者)として世間の認知度を高めていった。

(LGBTとは、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、それぞれの英語の頭文字からとったセクシャルマイノリティの総称)

外見でゲイに見えるタレントは多い。その走りはピーターや美川憲一に見られるが、はるな愛、KABAちゃん、りゅうちぇる、IKKO、マツコ・デラックス、ミッツ・マングローブなど今ではその特異性そのものがタレント価値と認められているように見える。外見の何が受けるのかジイなどは違和感を覚える。

そんな広がりの中で今回2つの注目された裁判での判決が出たのだ。

その一つ
同性カップルが婚姻届が受理されず国に損害賠償を求めた
判決:
①損害賠償請求は棄却
②日本では同性カップルに対する法的保護に肯定的な国民が増え、異性愛者との間の区別を解消すべきだという要請が高まりつつあるのは考慮すべき事情だ。同性愛者に対し婚姻の法的効果の一部ですら受け取る手段を提供しないのは、合理的根拠を欠く差別的取り扱いで、憲法14条が定める法の下の平等に違反する。

として、損害賠償は棄却したが、憲法14条に違反するとして「憲法違反」としたのだ。

<憲法14条>
すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
、、、との条文である。

であれば
憲法24条の「婚姻は、両性の合意のみ・・・」との条文をどうクリアするのか。両性とは男と女である。

判決文はそれに対し、『憲法24条は「両性の合意」「夫婦」などの異性の男女を想起させる文言を用い異性婚を定めたもので、同性婚に関して定めたものではない。』として違法性を否定した。

ならば、同性婚も憲法に明記されていなければおかしいではないか。裁判官らしからぬ全く筋が通らない話である。

であれば、せめて矛盾を失くすために、「国は矛盾を解消するために早期に憲法の改正に着手することが望ましい」と補足意見を付け加えるべきではないか。

何とも理解しかねる判決である。

時代の流れである。LGBTという人は確かにいるであろう。その方たちを否定はしない。しかし、人間の生の原理として男と女がいて、子孫を残しながら現在の一つの形がある。動物であっても、同性愛にしか目覚めない動物がいてもおかしくなないが、子孫を残さず一生を終える違いがある。

人間は知恵がある。LGBTの人も同じ人間である。同性でカップルとして一般が認めれる社会のあり方を醸成すればいいことで、結婚という形にこだわることはない。

前提とはしないが、結婚という形には、子孫を残すという崇高な使命が宿っているを理解しなければならない。子育ては国家存続に関わる人間の営みであり結婚から導かれる大きな喜びの源泉でもある。

残念ながら同性愛者は人間としの価値は平等であっても、確実に違う点は子孫を生み育てないという厳然とした事実は残る。

LGBTは民法で社会的保障を確立することは必要だが、結婚という形態とは切り離して考える方が妥当である。世間の同意が得られるのであれば、結婚に変わる同性結婚は『愛結』(仮称)など新しい言葉で民法に付け加える方がいいのではないか。

世の中は時代と共に変わるものである。確かに江戸時代、明治と価値観は変わった。

ただ、時代は変化しつつ流れて行くものだが、何でもありの世界であっていいはずはない。事人間の性に関する問題、慎重であってほしいと思うが。

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Posted by 秀木石