雑記,オリンピック,スポーツ選手,大相撲初場所,応援歌,感動,東京マラソン,,脳腫瘍

Vol.3-03-49 涙
2020.03.03

ここしばらく、涙が気になる。

涙は、今年の1月、大相撲初場所で幕尻優勝の徳勝龍関に始まった。

千秋楽、大関・貴景勝に勝ち優勝が決まった瞬間涙が溢れ出た。
優勝インタビュー、恩師の話に言葉がつまりまたもや嗚咽。
33歳。苦節10年、幕尻優勝。これが泣かずにおらりょうか。というところだ。
ジイは今でも徳勝龍が八角理事長から賜杯を受け取る写真を見ただけでも、その時の思いが蘇り目頭が熱くなる。

昨日は東京マラソンで大迫傑(28)選手が優勝。
オリンピック残り一枠に決定的に近づいた。
インタビューで感極まり涙した。苦しい闘いだった。と振り返った。
スポーツ選手にとってオリンピックは特別な舞台なのだと改めて認識した。

残り1枠を争うために人知れずした努力は簡単に想像できるものではない。大の大人が流す涙はそれなりの背景があって感動を呼ぶ涙となる。
昨年、吉本の芸能人が涙ながらに語った釈明会見はただ同情を買うための涙のようで見苦しかった。潔く世間に謝り、再起に懸ける心情を語るのみでよかった。涙は不要で、人に見せない努力こそ必要だと認識すべきだ。

大迫選手のように努力が結果に結びついた時、努力という堆積物があまりにも大きくなり、マグマのように体内から押し出されてきたのだろう。逆に言えば、マグマに匹敵する努力がなければ、噴き出すような熱い涙にはなりきらないのかもしれない。
流す涙は、再スタートを切るために必要な肉体の儀式かもしれん。

異質だったのは柔道の男子日本代表、井上康生監督の涙だった。
先月27日の代表選手発表会見で落選した選手の名前を読み上げながら、途中で何度も言葉を詰まらせるなど男泣きした。

様々な意見がある中で、やはりオリンピックという舞台はスポーツ選手の最高の舞台なのだ。
世界選手権で何度優勝してもたった一つのオリンピックの金メダルには到底かなわない。4年に一度しか開かれないということもあるが、世界の国が一堂に会し、あらゆるスポーツの最高峰を目指す大会はやはりオリンピックであろう。

井上康生監督は選考に漏れた2番手の名前を口にした時、涙が抑えきれなかった。
「これまでの選考大会を思い浮かべると、ギリギリで落ちた選手の顔しか浮かばない」と絶句。 続けて、涙ながらに落選した一人一人の名前を上げた。

後日「大変お恥ずかしい姿をお見せしてしまいました」とインスタグラムで詫びたが、ジイとしては複雑な心境じゃ。

年をとるにしたがって涙腺は緩む一方だ。
こんな場面に遭遇するとすぐ涙だ。
ちょっとした優しさや健気な姿についホロッときてしまう。
年を重ねると言うことは刹那に表れた姿に、隠された背景をおもんばかるからではないだろうか。

昔、あるお客様のお嬢さんが脳腫瘍に冒された。
婚約寸前の恋人もいて幸せの絶頂だった。

抗がん剤を飲み頭の毛は剥げ落ち毛糸の帽子を被るようになった。徐々に言葉もおぼつかなく人相も変わった。
治る見込みはなかった。ある時偶然に目にした姿は、車いすから手を伸ばし、必死で立ち上がろうと苦闘している時だった。遠目に見て涙を禁じ得なかった。

健気、必死、そこに一途が加わると、人は間違いなく感動する。

感動の涙は物言わぬ応援歌でもあるような気がする。

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