軍隊は悪という日本の常識

日本 雑記

Vol.2-3.29-440    軍隊は悪という日本の常識
2021.3.29

コロナ禍で今年の卒業生は修学旅行もままならなった。

論説記事によると、修学旅行で人気エリアは京都と沖縄らしい。今年は9割の学校がキャンセルしたようだ。その沖縄の旅行コースに必ず設定されているのが沖縄戦に関する資料が展示されている「平和祈念資料館」で、「平和学習」を目的としているという。

定番コースのようで糸満市摩文仁の平和祈念資料館には中学生や高校生が毎年40万人以上行っている。

その展示内容を聞いてびっくりである。
1、日本軍による豪からの追い出し
2、日本軍による「食糧強奪」
3、日本軍による「スパイ視虐殺」
4、日本軍による「乳幼児虐殺」
5、日本軍による「朝鮮人の虐殺」
などがずらりと並べられているそうだ。

えっと思う。これ日本の展示館?と疑ってしまう。
「平和学習」とは名ばかり。日本軍糾弾のオンパレード、自国の若人に教える?何か間違っていないか。

ジイはこの「平和学習」の話から、2つの本のことを思い出した。
大江健三郎氏の「沖縄ノート」と曽野綾子氏の「沖縄戦・渡嘉敷島・集団自決の真実」である。
 
沖縄戦は確かに悲惨であった。
大江健三郎氏の「沖縄ノート」は大江氏があくまでも沖縄に寄り添う心情と沖縄の悲惨、沖縄と本土という視点で書かれている。

その後36年を経て、曽野綾子氏によって「沖縄戦・渡嘉敷島・集団自決の真実」が上梓された。この本は曽野氏が自分の足で丹念に歩いて当事者へのインタビューを重ねながら悲惨な戦争の実相にせまろうとした本である。

結果として「沖縄ノート」を検証することにもなった。

「沖縄ノート」では集団自決は「命令があった」と断定している。
沖縄で編纂された「沖縄戦史」や「沖縄戦記・鉄の暴風」にも命令によって集団自決が行われたことが書かれている。

しかし、曽野氏は戦争の悲惨を象徴するような事件であった「集団自決」でも当事者からの聞き取り調査をおこなった。しかし、329人もの屍をみたという人間には一人も出会わなかったこと。自決したと言う場所もめいめい証言の食い違い、結局断定できる場所も人数も確定するに至らなかった。と「沖縄戦史や鉄の暴風」とは違う沖縄戦に行き着く。

本に書かれた一部を紹介したい。

『戦争は一つの狂気の時代であった・・・』

『戦争のあの時代にあった人間の心を、今の時点から拒否することはいくらでもできる。しかし現状を受け入れつつあるこの同時代人に果たしてその資格があるものだろうか』と曽野氏は疑問を呈している。

『兵士たちはーーーーとりわけ士官たちは、現在の日本人の心が傾斜しているような心情とは全く別の倫理の中で育ってしまった。それ以外のものの考え方などしないように仕込むのが軍隊というところであった。そしてその軍隊は、明らかに当時の社会から存在を容認されていた嫡出子であった。』

さらに曽野氏は、『そして今もなお戦争ではなく、軍隊の存在そのもが悪であるという考え方ができるのは、世界中で日本だけかもしれない』と言っている。・・・この言葉はとても興味深い。

曽野氏が沖縄的な見方にぶつかったと言う発言があった。
集団自決を命令したする赤松隊長が商家の出であることについて話したことだ。

『商売している商人というものは、どういう精神構造ですかね。たとえば要領の良い自分が生きるため、自分が儲かるために、人を何とも思わない、そういう境遇で育ったものが、或る極限状態でポツンと現れてくるのではないかと、僕は思ったりするんです』

「商人であるが故に、人を売る、という発想をきかされたのは、沖縄へきて2人目である」

『沖縄のあらゆる問題を取り上げる場合の一つの根源的な不幸』とは
『それは、常に沖縄は正しく、本土は悪く、本土を少しでもよくいうものは、すなわち沖縄を裏切ったのだ、というまことに単純な論理である』

冒頭の展示室の日本軍の悪行の数々、その内容が正しいか正しくないか、ジイは知らない。

しかし、この2冊の本を読むと沖縄のある一面が浮かぶ上がってくる。

戦争とは国同士が行う政治的解決の最終手段である。人殺し合戦である。この戦争に立ち向かおうとする時、人間は正気でできるのか、狂気にならなければできないような気がする。

平和な現代人が狂気の時代を断罪などできようか。
「平和祈念館」と「平和学習」という平和を誰がどのような心情で作ったのかジイは知りたい。

『・・・軍隊の存在そのもが悪であるという考え方ができるのは、世界中で日本だけかもしれない』曽野氏のこの言葉が日本の特異性を表している。

<アメリカ国歌>
砲弾が赤く光を放ち宙で炸裂する中我等の旗派夜通し翻っていた・・・
恐れおののき息をひそめる敵の軍勢が・・・

<フランス国歌>
我らに向かって暴君の 血まみれの旗が掲げられた・・・
聞こえるか戦場の残忍な敵兵の咆哮を・・・

日本とは真逆、軍隊は国家の宝である。共に国家のために働く軍隊が謳われている。

国歌とは国厳粛な式典に歌われる歌である。この違いを日本人はどう理解するのか。日本の国歌の「君」さえ天皇をさしているなどといい国粋・軍国主義だと言い募る人間がいる。まさに、曽野氏がいう「軍隊の存在そのもが悪である」という考えの違いがある。

このバカな「平和学習」。戦争の時代を理解し、戦争の狂気を理解し、軍隊の本質を理解し、実際の戦場を知らずして安易に語るべからずだ。
涙などいくらでも流せる。その時代を知るために “ 心の血 ” を流してみよ。といいたい。