2.28事件は日台同盟の始点なり

日本,雑記

Vol.2-4.4-446    2.28事件は日台同盟の始点なり
2021.4.4

昭和22年、1947.2.28・・・台湾では2.28事件として記憶されている。

日本でいう2.26事件のように有名である。
この「2.28事件」は中国国民党政権が台湾に上陸後、台湾住民を弾圧した事件だ。

当時日本の統治下にあった台湾。
日本が敗戦した後の台湾では、連合国軍の委託を受けて、日本軍の武装解除を行うために、中国大陸から蔣介石国民政府主席率いる中国国民党政府の官僚や軍人らが同地へ進駐し、失地回復という名目で台湾の行政を引き継いでいた。

中国大陸から来た国民党政府の官僚や軍人。当初は歓迎したが、やがて彼らの汚職の凄まじさに驚き、失望。大陸から来た軍人・官僚は質が悪く、強姦・強盗・殺人を犯す等々とんでもない集団だった。

その点、日本統治時代の台湾。厳しい同化政策はあったが、不正は少なく、帝国大学も創設され、日本内地の地方都市を超えて東京市と同じ水準。日本の統治を体験した台湾人にとって、治安の悪化や役人の著しい汚職、軍人・兵士などの狼藉、さらに経済の悪化は日本統治とは雲泥の差、人々の不満は高まっていた。

そんな不満を抱えていた台湾で事件は発生した。

1947年2月27日、闇タバコを売っていた女性を、中華民国の官憲が摘発した。女性は土下座して許しを懇願したが、取締官は女性を銃剣の柄で殴打し、商品および所持金を没収。タバコ売りの女性に同情して、多くの台湾人が集まった。すると取締官は今度は民衆に威嚇発砲、あやまって無関係な台湾人を殺して逃亡してしまった。

この事件をきっかけとし、台湾民衆の中華民国への怒りが爆発した。
同月28日、各地で暴動が発生流血の事態に発展。

この時、多くの命が奪われたが、命をかけて多くの若者を救った弁護士がいた。その人物は、湯徳章(日本名・坂井徳章)。この度、彼を顕彰する記念館が台南市でオープンしたのだ。

≪・・・その湯徳章という人物とは・・・ ≫
日本人の父と台湾人の母を持つ。日本で法律を学び高等文官試験司法科に合格し弁護士となる。

湯はこの事件で、地元の名士として「事件処理委員会」のメンバーに選ばれ、国民党当局に「真相解明」と「責任者の処罰」などを要求する役割を担ったのだ。

しかし、交渉は決裂、湯の「事件処理委員会」は逆に「反乱団体」に指名され湯は拘束されてしまう。

事件直後、台湾省工学院の学生らが中心となり武装蜂起を計画。国民党軍は拘束した湯に「蜂起」に加わった学生リスト提出を求めたが、湯はこれを拒否。身を呈して学生らを守った。

湯は激しい拷問を受けた後に処刑される。

台南市役所前の公園で公開処刑された蔡、台湾語で
『もし、誰かに罪があるとしたら、それは私一人で十分だ!』
『私には大和魂の血が流れている!』
と叫んだ湯の姿を多くの台南市民が目撃していた。

処刑後、勾留されていた他の関係者はほとんど無罪となり、釈放された。

中国国民党軍は処刑後に
「日本人とその手先が台湾全島を混乱に陥れ、中国人を不幸に突き落とす陰謀だ」と歪曲し、「国家と民族に危害を与えた台南の暴徒、坂井徳章に昨日、死刑が執行された」とあえて日本名を使って黒幕が日本人だと言わんばかりに報じた。

湯徳章がリストを拒否したおかげで多くの学生の命を救ったとして、この度顕彰する記念館がオープンするに至った。

事件後74年を経ての顕彰碑。その思惑は中国の脅しに屈しなかった湯徳章を顕彰することによって、今、危機的状況にある台湾独立と自由と民主主義を守ろうとする台湾人の決意のようなものを感じる。

そのきっかけが、半分日本人の血を引く湯徳章という台湾人であることが嬉しいではないか。

これからはいつ中国からの侵略があるかもしれない。その覚悟を示す今回の顕彰碑であれば、日本も決して部外者ではありえない。その覚悟をもって台湾を支援し、いつの日か晴れて独立国となるべくともに闘う同盟国でありたい。

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Posted by 秀木石