リベラルとジェンダー

日本,雑記

Vol.2-4.16-458    リベラルとジェンダー
2021.4.16

4月2日の産経抄にこんな記述がある。

『・・・国会では、かつて夫婦別姓に反対する文書に署名したとして、丸川珠代五輪相が野党議員らにつるし上げをくらっている。異なる意見を認めないその光景は、多様性の尊重からはほど遠い。

「子供が18歳になったら“家族解散式”というのをやろう」。国会で執拗に丸川氏を追求した一人、社民党の福島瑞穂氏の著書にこんな記述がある。「名実ともに個人単位で暮らしていきたい」ともあるが、この発想は男女平等と女性解放を名目に、家族制度廃止を試みたスターリン時代のソ連に通じる

福島氏といえば、かねて「リベラル勢力結集」を訴えてきた。そして共産、社民、立憲民主各党など左派政党はみな夫婦別姓の推進派である。・・・』と書いている。

「多様性を包摂する社会にしたい」この考えに反対するつもりは毛頭ないが、選択的夫婦別姓問題、同性婚、同性愛、など近年改めてクローズアップされてきたジェンダーフリー思想が底流にある。

このジェンダーフリー思想には福島瑞穂氏が目指す、個人主義を重視した家族の破壊にあるが、平成11年(1999)に造られた男女共同参画社会基本法は多分にこの臭いを内包している。ジイはこの名前を聞いた時 “ 胡散臭い ” 法律と直感したがその通りだった。

この男女共同参画社会基本法もジェンダーフリーが根底にある法律である。長谷川三千子埼玉大学教授は、日本が今直面している「少子化」現象の視点からこの法律の問題点を指摘している。

2000.12月。今から21年前に、「してはいけないジェンダーフリー」と題して、産経新聞に寄稿された論説である。

まず、「男女共同参画社会基本法」の3、4、5条に注目している。

< 第3条 >・・・男女の個人としての尊厳が重んぜられること、男女が性別による差別的取扱いを受けないこと、男女が個人として能力を発揮する機会が確保されること・・・
(社会的・文化的、男女の差を無くす、ジェンダーフリーの基本が謳われている)

<第4条>・・・社会における制度又は慣行が、性別による固定的な役割分担等を反映して、男女の社会における活動の選択に対して中立でない影響を及ぼすことにより、男女共同参画社会の形成を阻害する要因となるおそれがあることにかんがみ、社会における制度又は慣行が男女の社会における活動の選択に対して及ぼす影響をできる限り中立なものとするように配慮されなければならない。
(砕いて言えば、女の子の桃の節句のひな祭りや男の子の端午の節句を文化的差別としてとり払うことを目指している)

<第五条>も同じように差別をなくすことを基本に書かれている。

『・・・「ジェンダー」とは生物学的男女の差を意味するのではなく、文化的、社会的男女の差を指して言う言葉である。・・・そして「ジェンダーフリー」というのはこうした男女の文化的な差を一種の「障害物」と見なして、それを取り払うことを目指して言う言葉なのである』、、、と指摘し、

『男女共同参画社会基本法は慣行とか制度によってできあがっている男女の差をありとあらゆる分野で撤廃していかなければいけない』ということを目的としている。

時代により、文化により変化をこうむりながらも、そこには必ず男女の差があった。そうしたジェンダーによって人間はスムーズに繁殖行動をし、子育てしてきた事実がある。もし、人間からジェンダーによる役割分担を人工的に取り払ったらどういうことになるか・・・

・・・人間も生物である以上、無意識のうちに従う型があってはじめて生物としての営みを全うすることができる。文明が「人間が生物である」という側面を無視してどんどん暴走すればするほど、人間は生物としての機能が果たせなくなっていく。

そういう意味で、少子化とは、人間の生物としての機能低下のあらわれの一つであり、それはジェンダーが破壊されてきたからだともいえる。まさに21世紀の人類の文明を考えるうえで、「やってはいけないジェンダーフリー」と訴えたい。と論説を締めっくくっている。

自由と平等と聞けば何でもありのような風潮がある。しかし、変えていいものと変えてはいけないものを見極めなくてはならない。

家族制度そのものの解体を目論む勢力、それは個人の権利を強調し、多様化も原則個人が基本。同性愛や同性婚が、生物の原理を乗り越え、当たり前のような風潮をつくる。さらには夫婦別姓が世界の潮流のように喧伝されるが、目指すは家族の解体である。

人類平等を良いことに、不幸な環境に置かれた人間が声を大にして何かを壊そうとすることにエネルギーを費やす。まるで、政権をとれない野党が不満をつのらせ何でも反対する姿に似ている。

そこに、“ 人間の幸せ ” と言う発想は皆無である。人間を細かく砕いた個人があるだけである。

変えることがすべて正義か?私たちは冷静に見極める目を持たなければ、声の大きい勢力や、ただただ大量の一方向に向かう情報に呑み込まれるだけである。

日本は今、世界で最も平和な国である。女性が何か特別差別を受けていることはない。総理大臣でも、都知事にもなれる。弁護士だって自衛隊員にだってなれる。旧姓を使って仕事も続けられる。何が不自由なのですか?と聞きたい。

中にはトイレも一緒、銭湯も一緒にしろという人間がいる。そうしたいのですか?ジェンダーフリーは究極そこを目指していると思われる。そのうち、女性にだけ生理があるのは差別だと言いかねない。

平和、平等、個人の権利等々、耳触りの良い言葉が冠とする団体、集団、会合、集会にはまず気を付けたほうが良い。

TV,マスメディアを含め大量にかつ一方的に流される情報。「果たしてそうか?」の視点を持ち冷静に判断しなくてはならない。

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Posted by 秀木石