コロナ VS 日本五輪

オリンピック,スポーツ,日本,雑記

Vol.2-4.17-459    コロナ VS 日本五輪
2021.4.17    ー 成功させよう東京五輪 ー

森さんしかり、またもや長老の一言が物議を醸している。

自民党二階俊博幹事長が15日のTBSのCS番組の収録で、7月の東京オリンピックについて、
『これ以上無理だというなら、すぱっとやめないといけない。五輪で感染症を蔓延させたら、何のための五輪かわからない。その時の判断だ』と述べた。

この発言に、ネットでも波紋が広がっているそうだ。
《何を今更。判断遅すぎ。今から考えるの?》
《今更!? もう100日しかないのに何がしたいのか……》
《言うの遅すぎですよ。聖火リレーもう各地でやってるんだから》
《早く決断を。変な期待を持たせないで》

オリンピック開催まで100日を切っている。この発言による選手への影響がなければいいがと心配する。

IOCのコーツ調整委員長は、「大会は必ず開催され、7月23日に開幕する」と予定通り執り行うことを強調した。聖火リレーも継続中。各競技での五輪内定者も選出されつつある。

そのように着々と準備が進められる中、ここにきて新型コロナ感染者が大阪、東京を中心に今までにない勢いで急増している。

各地域から蔓延防止等重点措置の申請がされ、大阪などでは緊急事態宣言の要請が検討されかねない状況を考えれば、国民の間にも果たして大丈夫かと疑心暗鬼に陥っても不思議ではない。

このタイミングでの二階発言は一気に不安を煽ったと言えるのは間違いない。

IOCを含め、日本のオリンピック関係者は必ずやるんだと言う方向で動いている。しかし、いつの世論調査だったか忘れたが、日本人の大半が、「中止、もしくは再度延期」が妥当ではないかと判断したように、国民感情は揺れ動いているのが本当のところではないか。

そのような中で、中止をほのめかすような発言は一気に熱を冷ましてしまう危険がある。したがって、ネガティブ発言には特に気をつけてきた。ましてや選手にとって一旦緊張が切れれば元に戻すのは並大抵ではない。

であれば、二階発言を機に、あいまいな表現ではなく開催条件と期日を決めてしまったらどうか。IOCとの調整が大変かもしれないが、
例えば、6月末日時点を最終判断として、いくつかの判断基準を公開してその基準をクリアするために力を合わせる方向に結集した方がベターではないのか。

<6月末決定基準・・・例えば、、、>
①新型コロナの重症者が300人以下かつ、病床使用率が30%以下の場合は日本人のみの観客で行う。
②新型コロナの重症者が300人超500人以下かつ、病床使用率が40%以下の場合は「完全無観客」で行う
③新型コロナの重症者が500人超、病床使用率が50%以上の場合は中止する
等、、、明確な基準を設ければどうであろう。

そうすれば、国民も開催に向けコロナ対策も頑張るのではないか。その数字を日々発表することにより一喜一憂はあろうが、オリンピックに向けた国民機運も盛り上がる。たとえ中止となっても、今はやりの “ 見える化 ” で国民の納得性もある。

そんな中ユニークな記事があった。
4月6日の『スポーツ茶論』(別府育郎)のコラム記事である。

『雨を喜び 風を楽しむ』
・・・1964年の東京五輪では当初、記録映画の監督とともに開閉会式の演出は黒澤明が担当するはずだった。ただ世界各地で同時にベートーベンの「第九」を合唱するなどの企画は技術的にも予算的にも不可能とされた。黒澤は妥協せずに降板し、記録映画のメガホンは市川昆がとった。

「今の技術なら黒澤さんの演出は十分にできます。スマートフォンを利用すれば、1億人だって可能です」
そう話したのは、この夏の五輪・パラリンピックの開閉会式演出責任者に就任する前のクリエーティブディレクター佐々木宏だった。

・・・五輪に吹きすさぶ逆風は一向に収まろうとしない。
それでも、五輪をやめてしまえとは思わない。

宮沢賢治の詩に「雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ」とある。高名なこの一節を
「つまらないよね」と一蹴し、中学卒業の寄せ書きに「雨を喜び 風を楽しむ」と書いた。
誰あろう、「ミスター・ベースボール」長嶋茂雄なのだという。その超ポジティブな姿勢は中学時代、すでに確立されたらしい。

・・・半世紀早すぎた黒澤のアイデア。ミスターの筋金入りの楽観。これらを全部集めて困難を逆手に取り、東京五輪を明るく成功させることはできないか。「日本だからできた」と、世界に胸を張ってみたい。

その通りだ、こう言う時だからこそ、日本の誇りをかけ、国民一丸となって五輪を成功させようではないか。

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