引退馬に穏やかな光を

スポーツ,日本,雑記

Vol.2-6.30-533  引退馬に穏やかな光を
2021.6.30

国内の競走馬は年間約8000頭近く生まれるそうである。

競走馬としてデビューできるのはそのうち何頭であろうか、仮にデビューできても結果を出さないと見切りを付けられる。

馬の寿命は約25年と言われる。彼らが活躍できるのはせいぜい2歳~4歳の3年前後、引退すると多くは北海道で種牡馬として第二の人生を送る。

しかし残り20年を穏かに生きられるとは限らない。馬の維持費が莫大なため処分されることが多いと言う。

それだけではない、例えば、脚などに大けがを負った馬は、回復不能となれば速やかに安楽死の処置をとられることがある。

悲しいことだが、この世界の厳しい現実である。

その引退馬の第二の人生に光を当てたいと「リタッチ」という引退馬支援団体を立ち上げた若きリーダーがいる。

「引退した競走馬を救いたい。馬にじかに触れ合い、助かる馬を一頭でも増やしたい」代表の林氏は、「引退馬の森」を構想し、穏やかな馬の第二の人生の保護活動に孤軍奮闘している。

そう言えば、ジジイは4、5年、那須塩原にいたことがある。
千本松牧場があって、乗馬もできた。よく仕事のついでに馬の近くに行って草をやりながらしばらく馬と遊んでいた。

さらに、近くには騎手・厩務員・牧場・乗馬クラブ就職を目指す、馬の学校もあった。温泉有り、牧場あり、スキー場に動物公園など自然豊かな土地であった。しかし大自然を駆け抜けるだけで、ゆっくり楽しむことができなかったのが残念でならない。

ところで競馬は、たまにテレビで見る程度だが、そんなジイでも思い出すのが、第1次競馬ブームの中心的な存在だった大人気のハイセイコーだ。歌にもなり増沢騎手が歌った「さらば、ハイセイコー」は大ヒットした。

そのハイセイコーにも当然だが、引退があった。
北海道・明和牧場で余生を過ごしたが、引退して25年後の2000年5月4日午後、同牧場の放牧地で倒れているのが発見された。

死因は心臓麻痺。競走馬時代の主戦騎手だった増沢氏は死亡の報せを聞いて明和牧場を訪れたところ、ハイセイコーはまだ放牧地に横たわったままでいた。

増沢氏はその場にしばらく無言で佇み別れを惜しんだと言う。こんな幸せな余生にほっとする。

異色なのがハルウララである。負け続けて全国区の人気となったのはハルウララが初めてである。

“ ハルウララ ” という愛らしくもどこかとぼけたような名前と、ダメ馬の代名詞となって人気が出た。何しろ、高知競馬の第1競走でデビュー、5頭立ての5着。その後も勝利とは無縁、連敗は87を数えた。最終的には連敗は109となり負け数歴代2位で引退した。

引退レースに前代未聞、武豊氏が騎乗、高知競馬始まって以来のブームで高知競馬場は史上初となる入場制限、1日の総馬券売上額は高知競馬史上最高記録を更新した。

ジイもよく覚えている、連日ニュースやワイドショーでとり上げられた。競馬をしらない人間もハイセイコーとハルウララだけは知っているのではないか。

現在、千葉県御宿町にあるマーサファームで健在。余生を楽しむどころか、木更津署の夏の交通安全啓発ポスターに起用され今も活躍中とは嬉しい。

このように幸せな余生を送れるのはどちらかと言えば稀である。

年間8千頭も生まれれば、確かに世話をするのは大変である。馬の世話をする厩務員が足りない。馬の維持費が莫大である。結果がでないと仕方なく処分されてしまう。厳しい世界である。

馬の余生を支援するリタッチの代表林氏には感謝だ。馬が好きでたまらないからできることだ。紙面からも近くでそっと寄り添う穏やかな愛情を感じる。幸いにも、このコロナ禍で乗馬人気が再燃しているそうだ。

特に若者たちには、たまには日常からはなれて、自然の中で馬と触れ合うのもいいのではないかと思う。

大きな目に長いまつげ、優しい目に見つめられたらひとたまりもない。

間違いなく Fall in love となるはずだ。

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