トルコとの友好

世界,日本,雑記

Vol.2-7.8-541     トルコとの友好
2021.7.8

今から30年ほど前、横浜に一時住んでいたことがある。近くの商店街に中古レコード店があって、そこで初めて “ ジャケ買い ” というのをやったことがある。

ホロヴィッツファンならすぐにピンとくるかもしれない。

ジャケットには「Vladimir Horowitz」とだけありその下に「CHOPIN・SCHUMANN・RACHMANINOFF・LISZT」とあるだけのシンプルなものだ。

1962年録音のLPで、黒をバックにホロヴィッツが穏やかな顔でテーブルの上であろうか手を組んでいる。その表情がいかにもいい。どんなジャケットにもないホロヴィッツでないホロヴィッツの姿があった。

一見、これは誰だ~?、えっ、ホロヴィッツ?と疑ってしまうほどなのである。あのでかい鼻も大きな耳も感じさせない。そして、怪奇趣味的雰囲気もなく品格だけが漂うジャケットである。

ジジイはそのジャケットを見ただけで買ったのである。ジャケ買いの最初で最後の1枚として思い出深いものなのだ。そのLPも、もう針を落とすこともないと思いすべて処分した。今、考えれば、あのジャケットだけは残すべきだったと悔やんでいる。

そのことを思い出させてくれたのが、今年の3月に東京に着任し、5月に天皇陛下に信任状を捧呈して正式に大使の職務を始めたトルコのコルクット・ギュンゲン駐日大使である。

新聞に紹介された笑顔の写真は、誠実で温厚な性格がそのまま出ている。Youtubeで挨拶を拝見したが、日本語でのとつとつとした挨拶はいかにも誠実そのもの、実に好感が持てる。

ご存知のようにトルコは大の親日である。

その理由は130年前にさかのぼる。
1890年、和歌山県串本町沖でトルコの軍艦「エルトゥールル号」が遭難した。地元の人々の懸命な救助活動によって多くの命が救われた。串本町に方々には感謝、感謝だが、この事件以後トルコの親日は今に続くのである。

その後もトルコと日本はあらゆる場面で相互に信頼関係を深めた。

第二次世界大戦でも、イギリスをはじめとした連合国の圧力により、1945年日本に宣戦布告せざるを得なかった。しかし国内世論は宣戦布告に反対であり、日本に対しての軍事行動は一切行わなかったのである。

最近では、1985年イラン・イラク戦争の時、多くの国が自国民の救出に走った。しかし日本政府はリスクの大きさにためらっているうちに、日本人がイランに取り残されるという危機があった。その時、トルコ航空機が出動、200名以上の救出に当たってくれたのだ。

親日派の証は、日露戦争でロシアに勝った時の英雄、東郷にちなんでつけられた、トルコ・イスタンブールにある “ トーゴ―通り ” もその一つである。

産経新聞のインタビューでは、中国に対し、強制的な収容や不妊手術などの人権侵害があるとして「トルコ政府として、ウイグルに関し抱いている懸念を中国政府に伝えており、これからもそうする」と明言した。

トルコで暮らす約5万人のウイグル人は、中国との間で署名された犯罪人引き渡し条約が近く批准されれば条約に基づき送還される可能性を懸念する。

しかし、ギュンゲン氏は「ウイグル人を送還した事実はないし、その意思もない」と述べた。

国家として気持ちいいほど意思がハッキリしている。日本は見習うべきである。経済大国となった今も、こと中国相手になると優柔不断な人権への対応は何とも情けない。

このインタビューの中でも、トルコの軍艦「エルトゥールル号」遭難の史実も話題に上げ、両国がいろんな分野で協力を深めたいと強調した。

ウイグルやチベット、またモンゴル自治区に日本は何をしたのであろうか。中国を前に常に及び腰。我が身可愛さの信念のなさには恥ずかしさと悲しさを覚える。

それにしても、大使と称する方は往々にして穏やかな方が多い。この度着任されたトルコ大使・コルクット・ギュンゲン氏は特別に品格を感じる。

これからもトルコとの友好関係よ!永遠なれと願わずにはいられない。

新聞の小さな顔写真から、ホロヴィッツのジャケットにつながり、トルコとの友好関係を改めて確認するとになった、、、心安らぐ一日である。

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