国家としての敗北

オリンピック,スポーツ,日本,雑記

Vol.2-7.10-543   国家としての敗北・犠牲になったアスリート
2021.7.10

オリンピックの無観客での開催が決まった。

何故だ、相撲、野球、サッカー、ラグビー等々あらゆるスポーツが観客を入れて今も行われている。世紀の祭典・オリンピックだけが何故無観客なのか理解できない。

バカな、政治の動きとしか思えない。オリンピックの成功は秋の衆議院選挙で与党の勝利につながる。それが困るのである。世界のアスリートを犠牲にしてまで反対するおろかな日本に誰がしたのか。

テレビも政治家も国民もマスコミもアスリートも誰も悔し涙さえ流さない。「国民の命が大事」という有無を言わせない「天下の印籠」にひれ臥したのだ。

ワイドショーはみな「コロナだから仕方ないですね」で終わり。アスリートが血を流すような5年間の努力は何であったのか。もちろん金メダルをとることでもあるが、大観衆の中で命の限りを燃やしきることではなかったのか。

全国民が世界のアスリートのためにどうすれば観客を入れ、かつ安全な大会が出来るか。この一点において何故国民は一致団結できなかったのか。

共産党や立憲民主党に医師会は医師と国民の命を守るという「印籠」を振りかざした。何が何でも「オリンピックの中止」ありきがすべてで、「いかにすれば開催できるか」というポジティブ思考は一切なかった。

そこまで反対するなら、今行われているすべてのスポーツも無観客を進言しなければ筋が通らない。何故、それには一言も発しないのか。冒頭の通り、オリンピックが成功されては困る連中である。

さらに無観客で決まったにもかかわらず、この期に及んでまだ「中止しろ」と叫ぶとはどういうことか。国家の一員どころか国賊のそしりを免れまい。これが、共産党と野合する野党第一党の姿である。

昨年、五輪が一年延期になり、とりあえずはコロナ対策となった。日本は責任国として、どうすれば世界の祭典を開けるのか、そのことを真剣に考え、政府は何故、真剣に国民に問いかけなかったのか。

デジタル化もスマホの料金引き下げも大事であろう。しかしその前にやることがあったのではないか。

コロナにおける緊急事態についての会見は何度もしたが、ことオリンピックを開くために国民の団結と協力をもっと情熱的に何故語ろうとしなかったのか残念でならない。

例えば、ジイが総理なら、
『全国民の皆様、日本は2013年9月7日。アルゼンチンのブエノスアイレスで開かれたIOC総会で東京大会を勝ち取りました。あの時テレビで見ておられた方はご存知でしょうが、大会招致の関係者の歓喜を私たちは忘れることができません。

テレビの前で国民の皆さんも大歓声をあげていただいたのではないでしょうか。

私たちは、あの日から世界に対し大きな責任を負ったのであります。全世界の国々、及び世界のアスリートのために最高の舞台を安全に運営する責任を約束したのであります。

不幸にも、2020年初頭より「新型コロナ」の世界的大流行により、1年延期という苦渋の決断を致しました。

幸い日本は他国に比し、感染者、死亡者は低くく押さえております。これはひとえに国民全員のご協力の賜物であります。この力をさらに発揮して、コロナを抑え、オリンピックには観客を入れて開催するために、あと半年、全国民の一致団結したお力添えをお願いしたいのであります。

今の状況を考えますと、まだまだ厳しい規制を伴う緊急事態を敷くこともあろうかと思いますが、国民一人一人の命を守るためであります。その上で、日本だからこそ、オリンピックが開催できたと世界に、誇りある日本人の姿を示したいのであります。

アスリートの皆さんは1年延びたことにより、5年という長い間、このオリンピックのために血の滲むような努力を重ねておられます。私たちは彼らからスポーツを通して、感動や生きる力を与えられてきました。彼らの役割は全世界の人々に夢と希望を与えることでもあります。その大会の開催を私たち日本が担っているのであります。

どうか、私たちは、コロナから逃げるのではなく、コロナに立ち向かいコロナを乗り越え、世界に夢と希望を届けるために、全国民のお力をお願いしたいのであります。』(秀木石総理挨拶・試案)

少なくとも、今年の正月にはこのように国民に問いかけ、一致団結を呼びかけてほしかった。ここまで言えば、マスコミや立憲民主党も表立って、足を引っ張ることはできなかったのではないか。

要は、ここ一番と言う時に政府は命を賭けた意思を国民に見せなくてはならないのだ。

1年先には何とか落ち着くだろうとコロナを甘く見たのか、たかがオリンピックと見くびったのか。政府と都の責任は非常に重い。

それにしても「日本人」、国家忌避が定着し、見るからに国家への帰属意識は希薄となった。

無観客も仕方なしとする無気力。少なくとも組織委員会会長の橋本聖子氏は元アスリートである。会長になったからにはすげ替えられた人形ではなく、ビビることなく、アスリートの代弁者であってほしかった。

残念至極、信念も、決意も、プライドもなくし、バラバラになった日本。

懸命になって大会を盛り上げようとしない日本で、果たしてアスリートの感動的なパフォーマンスなど期待できるのだろうか。

オリンピック史上 “ 最低のオリンピック ” との汚名を残さなければいいが、と今は心配だけが先立つ。

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