保育の本文を忘れた園長の罪

日本,雑記

Vol.2-8.1-565    保育の本文を忘れた園長の罪
2021.8.1

母親が我が子を車に残し、己はパチンコに夢中になり、熱中症で殺してしまう悲惨な事故は今もなくならない。

こんなニュースを見るたびにジイは、“ こんな親死刑にしろ! ” とつい叫んでしまう。親はどう思っているのか知らないが、我が子を自分が殺したのである。誰に文句言えるわけもなく、世間はだらしない母親を非難して済む。

しかし、今回は保育中という極めて高い責任を負う中での事故である。
園長自ら運転するスクールバスに、園児を置き去りにし、炎天下9時間も鍵をかけたままバスに放置し、死に至らしめたのである。

どうしたらそんな事故が起きるのか考えもつかない。保育の本文を放棄した園長の罪はあまりにも大きい。

ニュースで知った情報をみるかぎりだが、園児の命を預かる身として、あまりにも杜撰である。杜撰すぎて話にもならない。園長及び園側に一分の情状の余地もない。

母親が狂ったように『子供を返して』と叫ぶのは母親の本能からの絶叫である。

ジイも同じような年頃の孫を持つ。親でなくても気が狂う。冷静に耐え忍ぶ自信はない。

ジイもおっちょこちょいでずい分失敗を重ねてきたが、新聞記事を見る限り、命を預かる身として本当にそんなにも杜撰だったのかと俄かに信じられない事件だ。

朝迎えに行った園児はたったの7人である。到着して後ろを振り向くことすらしなかったのか。園長ともなれば、一人一人降りて行く顔をみて、健康状態や顔色から家庭での虐待なども察知するなど、朝の顔で判断する程度のことは、保育園や小学校など子供を預かる身の最低限のルーティンである。

健康であればそれでいいが、お返しする時も朝と同じ元気な姿で返さなくてはならない。そのために朝の様子をしっかり見て、異常がないことをまず確認しなければならない。それすらやらないということは、この保育園の目的すら疑わなくてはならない。

現実には何にもしていないということだ。とんでもない園長と保育園ではないか。

本来、送迎バスが着いたら保育士もバスまで迎え出るなくてはならない。ここでも園の児童に対する愛情以前に、確認点呼がなされてない。万が一事故があった時のリスクは2人で対応することにより軽減する。ましてや事の良し悪しがわからない園児である。この園長の方針が特段不明確で保育士共々保育園としてのあるべき最低限のルールの欠如がみられる。

園長の保育経営に対する思想・信条もなく、危機意識とコミュニケーションもない。

保育士も、欠席の児童を把握していながら、「園長に電話があったのであろう」と推測だけで、確認すらしていない。この園に流れる空気感が如何に適当かが、この一事をもって理解できる。

園長自ら運転していくのも一見、積極的に見えるが、園長はいつも園内にいて園全般に目を光らせ、万が一の事故に備えなければならない。ここでも危機管理の理解が抜け落ちている。運転手を雇う費用をケチって自ら運転などの理由であれば、本末転倒である。

一旦、閉園し、徹底した体質改善努力をし、地域への説明、父兄の安心を得られてからスタートしなければ、亡くなった園児に報いることはできない。

他人事とは言え、幼な子を奪ったのが子供を守るべき園長であったことに、何とも言えない強い憤りを感じる。

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Posted by 秀木石