輝く “ 希容 ” の武士道

オリンピック スポーツ 日本 雑記

Vol.2-8.6-570    輝く “ 希容 ” の武士道
2021.8.6

新競技・空手の女子形が日本武道館で行われた。

4、5年前だろうか、初めて空手の演武を見て不思議な緊張感を抱いた記憶がある。その後、何度か見ているうちに、若干知識を得た。

例えば、姿勢、軸がぶれない、息が切れない、力強さ、早やさ、切れ、静と動、演武の中にそれぞれの要素を入れて表現するのだが、究極はあたかも相手がいるような臨場感と精神性の高さではないか。

清水希容選手は2年に1度行われる世界選手権は3度出場し、初出場の14年から2連覇。全日本選手権は13年に史上最年少の20歳で優勝し、7連覇。最近は落ち着きと風格が備わった。

準決勝後の清水希容選手のコメントである。

「本当にいろんな思いをしてここまで来た。一つ一つ気持ちを込めて全部、全力で決勝と思って予選で演武させていただいた。

自分の得意形のチャタンヤラクーサンクーをしっかりと世界中に見てもらいたいと稽古に励んできた。あとは勝ち負けもそうかもしれないが、何よりも自分の納得のいく演武ができることが一番だと思っている。」

そう語った清水選手。

決勝の相手は39歳、遅咲きのライバル、スペイン・サンドラ・サンチェスだ。

スピードの清水、力強さのサンチェスと表され、2人は切磋琢磨し、2019年の国際大会決勝では史上初の同点再演武となるなど、何度も名勝負を演じてきた相手だ。

サンチェスは鍛え上げられた肉体で、蹴りや突きをピタリと止める演武が得意。2018年の世界選手権で清水の3連覇を阻止して優勝。以降はサンチェス優勢の流れで来ている。

清水選手は王者奪還のため、悩みに悩み、試行錯誤してきた中で一つの結論を出した。「今までは勝ちたい気持ちが強すぎ、あれもこれもと悩んでいた自分」に気がつき、迷いが吹っ切れたという。最後に立ち返ったのは原点である。

決勝は「自分を信じて」自らの道を貫き、夢見た舞台で力を出し切ることと言い聞かせた。

準決勝の演武を見たが、数年前に見た清水選手とは格段に風格と厳しい美しさが増していた。これなら間違いなしと確信した。

決勝はサンチェス選手が先に演じた。

サンチェス選手の演武は、確かに力強いものだった。形や軸のブレなど競技としての要素は素人目で十分に思えた。ただ目の過剰な演出は、形を披露する武道には邪魔である。

最後に演じた清水希容選手、ほぼ完璧だったが、準決勝の時より、若干の焦りが出た。日本開催、金メダルへの欲というものだろうか。無情にも勝利はサンチェスに輝いた。

もし、準決勝後に語った
勝ち負けを意識せず「自分の納得のいく演武」に集中できていれば間違いなく優勝したであろう。

サンチェス選手の演武を敢えて見なかったのも、動揺への恐怖である。決勝に臨む前に “ 心を空にする ” 武道の神髄に今一歩足らなかったとすれば、完成への道が残されたということだろう。

ただ、ジイの偏見かもしれないが、武道の精神は全ての立ち振る舞いから精神の状態までが武道である。その意味において、少々厳しい言い方かもしれないが、サンチェス選手はその域に無い。

演武に入る前、演武中の表情、演武が終わってからすべてに競技の匂いがした。清水選手が完璧かと言えばそうではない。決勝に望み、無我の境地に入る直前に入り込んだ邪悪に負けてしまった。

しかし、「もう一度見たい」と思わせるのは間違いなく清水希容選手の演武である。それは、外国人選手がなかなか乗り越えられない、武士道精神の静と動の美しさにある。

審判員の構成は知らないが、「武道の形」を競う、というある意味、精神の表出を評価する難しさはセンスにいきつく難しい問題だ。

清水希容選手よ、競技である以上、勝ち負けはある。形はすでに完璧である。残るは、武道の神髄である何事にも動揺しない、平常心である “ 空 ” の世界観を表すことで完成形ではないかとジイは勝手に思う。

今後もあなたが口にする「日本の美しさや伝統を伝えていく」この精神で、無我の境地に到達した “ 清水希容 ” の演武を見たいものだ。