日本人・石平の誕生

日本 雑記

Vol.2-8.23-587   日本人・石平の誕生
2021.8.23

中国や韓国だけでなく日本に帰化する人はここ数年では800人前後おられるようだ。

ジイはその内の数人の有名人しか知らないが、その彼らが、日本人より日本をより深く理解しているのには驚くというより尊敬である。

石平氏は北京大学哲学部出身、李相哲氏は龍谷大学教授、呉善花氏は拓殖大学国際学部教授である。

彼らがどうして日本に帰化したか、動機はそれぞれであるが、この日本を選んでくれたことは嬉しい限りだ。
その中の一人「石平氏」のロングインタビューが、今、産経新聞の「話の肖像画」で連載中である。

中国で生まれ毛沢東を神と崇める青少年期を中国で過ごし、「文化大革命」を肌で経験し、大学に入って知識を深めるまで何一つ疑問を抱くこともなく過ごした日々が赤裸々に語られている。

どんな優秀な人間であろうと、洗脳というのは恐ろしいものだ。石氏が14歳の時に毛沢東は亡くなるのだが、石氏は号泣したという。それは石氏が特別だったわけではない、村々の家から泣き声が聞こえたというから、時々見る北朝鮮の映像が決してやらせでなく、洗脳されるということはそういうことなのである。

石氏は文化大革命を経験する中で大学に入り、やっと民主化運動に目覚めていくのだが、それでも “ 洗脳 ” が溶けるまでには1年以上かかったと述懐している。

しかし、それで「共産党打倒」に進むと思いきや、共産党を民主化することに情熱を持っていたという。日本はすでに経済大国、バブル期を迎える数年前である。

その頃、社会面では、歴史教科書問題で大騒ぎになった時代だ。ところが石氏曰く、中国ではほとんど話題にならなかったという。朝日新聞の反日キャンペーンに日本が騙され、教科書をゆがめる結果を招いただけの騒動だったと思い知る。

ターニングポイントとなったのは、日本に留学中の親友から日本留学の誘いだった。憧れだった海外留学、お金はなかったが情熱だけはあった。資本主義と民主主義を知りたい。とりあえず旅費だけを持って船に乗った。

留学には日本人の保証人が必要だった。親切にも親友のご両親が引き受けてくれ、その両親に挨拶に行った時の話だ。

『玄関に入ったとき50代くらいの奥さんは正座して迎えてくれた。日本語もまだろくにできない、えたいが知れない僕の保証人になってくれた上に、礼儀正しく、優しく、丁寧に接してくださった。一人で日本にやってきて将来も見えず、心細かった僕にとってどれほど嬉しかったことか。思い出しても涙が出てきます。』

この出会いが、日本の印象を決定づけたような気がする。

一流の日本人とはこういう方をいうのかもしれない。お会いしたわけではないが、凛とした佇まいや仕草が目に浮かぶようで石氏でなくと背筋が伸びる思いがする。

こうして留学生活が始まるのだが、祖国と決別する決定的事件「天安門事件」が起った。友人の何人かが共産党の銃弾に命を奪われた。日本にいては駆けつける訳にもいかない。中国領事館前で抗議の先頭に立った。飯も喉が通らない。大学も欠席。ついに母国中国との決別を決断した。

その後、神戸大学大学院で研究生活に入り日本を深く知る。どこかに母国・中国を信じる気持ちがまだ残っていたがそれももろく崩れ去った。

いつの間にか、日本人のホスピタリティーに救われ、精神性の高さにも触れ、民主主義や自由の尊さも知った。

とりあえず日本で就職した。しかし心に渦巻くマグマのような熱い怒り、中国のウソにガマンできなかった。ついにウソを暴くために執筆活動を決断する。会社に迷惑はかけられない。退職した。

中国で生まれ、中国の貧困時代を過ごし、文化大革命、洗脳も経験した人間が中国を書くのである。自信よりも愛する母国・中国に裏切られた強烈な怒りであった。

満を持して書いたのが「なぜ、中国人は日本人を憎むのか」。
初版本はあまり売れなかった。3年ほどは苦しい時代が続いた。

元中国人の日本人が、誰に遠慮することなく、言いたいこと、書きたいことを書く。心がけは「嘘」や「ウラが取れない話」は書かない、と言うのが石氏のスタンスだ。

中国とはすでに決別した。日本国籍が取りたい心が芽生えた。本人にとっては人生一大決心である。

申請に法務局へ行った。
法務局では当然のように聞かれることを想定して頭に入れた
1、経済的基盤と、犯罪歴の有無
2、思想信条は
3、日本国を思う感情は
4、何のために帰化するのか
5、日本人となって国家に忠誠を誓えるか

このうち国家として最も重要と思われる2~5までが全く聞かれなかったのである。想定外の対応にショックを受ける。石氏は国家として異常だと思ったという。本人は人生の一大決心を日本の厳正なる法務局に堂々と心情を伝え、ドキドキし且つ中国との決別の決定的瞬間を心に刻みつけたかったのだ。

石氏が初めて日本に失望した一事ではなかったかと想像する。

ジイは石氏の心情が痛いほどわかる。
申請してから、またドキドキして許可を待つ。許可が下りた時には細かく厳しい説明の後、国旗の前で宣誓し、厳かに許可証を受領すると思いきや、5分ほどの簡単な説明であっさり受け取ったいう。

拍子抜けした受領。携帯電話の手続きでももっと詳しい説明がある。と苦笑せざるをえなかったという。

石氏はどうしても自分の心情にケジメをつけたかった。伊勢神宮に参拝、靖国神社にも参拝し、自分なりの儀式を済ませたと言う。

ああ、なんという情けない日本だと思わざるを得ない。国家としての威厳の “ 威 ” もない。
日本の最大の宝物である支柱たるべきものがない。「国家喪失」という現実を石平氏は図らずも教えてくれたのである。

国家意識のかけらもない。いやしくも「国家を忌避」する日本人になってしまった。国家を口にすれば、「右翼?」と怪訝な顔をしてみる下品な人間がはびこってしまった。

石氏は内心、帰化申請は失敗だったと後悔したのではないかと心情を察してしまう。

戦後76年、式と呼ばれる厳正な場に国旗・国歌のない儀式に疑問さえ持たなくなった。全ての儀式をおろそかにした結果が、心ある外国人にも「崇高な国家」を示すことすらできなくなった。それを恥とも思わない日本人になった。規律のないただ優しいだけの日本人。

石氏が命を日本に預けようと思ったその心情に応えられなかったことに、ジイは日本を代表してお詫びしたい。

かのご婦人のように、日本人らしい日本人がいなくなった。日本で生まれただけの日本人より、よほど帰化人の方が日本人らしい。

この日本に誇りはもうない。わずかに残ったのが皇室である。宮中の儀式、佇まい、歌会始の和歌等々連綿と続く歴史が断ち切られんことを祈るばかりだ。