大相撲秋場所

スポーツ,日本,雑記

Vol.2-9.19-614   大相撲秋場所
2021.9.19

東京国技館で9月12日初日を迎えた、今日は中日だ。

この秋場所も何故かパッとしない。というか迫力がないというか、上位陣をみても、横綱白鵬休場、朝乃山休場。正代、貴景勝もすでに2敗、に4敗。全勝は横綱・照ノ富士ただ一人。毎場所毎場所、大関陣のなんという情けない姿か、もうがっかりである。

大関は横綱を、関脇は大関を目指して本当に頑張っているのか、見ていても上を目指す力士の迫力が伝わってこない。頑張っているのはモンゴル出身の照ノ富士とやはりモンゴル出身の霧馬山の二人だけだ。

勝ち星からいけば、関脇・御嶽海も頑張っていると言えるが、5勝2敗じゃ関脇としては当たり前の数字である。

前々から思うことは、日本の力士より、モンゴル出身力士の方がヤル気も迫力も断然違うと言う事実だ。

今場所はコロナで休場だが、横綱・白鵬などは仕切りのうちから、相手を注意深く観察しているのがよくわかる。仕草、顔色、表情を事細かに観察しつつ、3分の制限時間内に体内パワーを最高潮に持って行こうという姿勢が表れている。

今場所は宮城野部屋のコロナ感染者の影響で部屋全員が休場に追い込まれ残念だが、優勝45回は伊達ではない。しかしその強さの源泉は何であるかという探究心を持つ力士はいないのか。ただただ、稽古をすればいいというものではないと思うが。

ただ、白鵬については一人横綱を長く務めた実績、優勝回数等々、だれも寄せ付けない地位にあるためか、神事としての相撲に宿る謙虚さや、横綱に求められる風格とはいかなるものかへのこだわりが感じられない。ただ、勝つことへの執着だけである。残念である。したがって相撲道から外れる取り口や仕切り中、土俵入りの型に自分流が見られるのは残念。

土俵には、縁起を担ぐ意味で勝栗や昆布、米、スルメ、塩、榧の実が神への供物として土俵祭の際に埋められるている。従って、昔は力士が入場の際に柏手を打つなど神がいる場所とされてきた。現在は、力士は土俵に一礼してから控えに就く。

相撲の取り口も、勝上げや張り手は横綱として決してふさわしい技とは思えない。横綱相撲なる正々堂々とした勝ち方にこそ横綱としての品格・風格が備わり、尊敬と崇拝の念がわくのである。その自覚があるとは思えない。時間になると、俵を足で踏みつけるような仕草も決して美しいとは思えない。

入場から、相撲、退席までの一連の動作が、あれが “ 横綱 ” かと思わせるものが理想である。それを追い求めてこそ相撲界の頂点に立ち、尊敬の的になるのだと思う。

モンゴル人だから仕方ないで済ませていい問題ではない。日本に帰化して相撲界最高位に君臨しているのである。将来横綱を目指す多くの若者の憧れでなくてはならない。土俵入り一つにとってもその思いを秘めてほしい。

新横綱・照ノ富士は、そのあたりを意識しているようなことを聞いた。勝ちっぷりも堂々としている。今のところ順調な滑り出しである。日本人以上に日本の相撲道なるものの本質を知り、実際そのような横綱を目指してほしい思う。

現在の相撲界、日本人力士に人材が見当たらない。大鵬の血を引く、十両の王鵬もぱっとしない。今、期待できるのは照ノ富士ただ一人だ。久しく見ない、横綱らしい横綱を見たいものだ。

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