陰翳礼讃と日本文化

日本 雑記

Vol.2-9.22-617  陰翳礼讃と日本文化
2021.9.22

日本人であるジイは日本文化の魅力を外国人の眼を通して気づかされることがよくある。

麗澤大学准教授・ジェイソン・モーガン氏の産経新聞論説に、谷崎潤一郎が昭和初期に書いた「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」に日本文化の神髄を見るという。記事があった。

インバウンドを目論む日本だが、今回の新型コロナウイルスで一気に外国人観光客が激減した。しかし、ジェイソン・モーガン氏はそのことによって、観光客がいない都内の道が静かで日本らしくなり感動したというではないか。

現代の日本人の誰が、都内の静かな風景から陰翳礼讃を想起するであろうか。日本人が忘れ去った自国の心象風景を外国人が感じとったことにジイは己の日本人性を問うた。

モーガン氏は日本文化発信は五輪などで派手に宣伝する文化では本来ないという。

『(日本文化は)大きな声で叫べば、その魅力を紹介できる文化ではない。どちらかというと、静けさや陰、奥ゆかしさ、繊細さ、儚さ、細かい感情に優れている文化だからだ』と指摘した。

『(谷崎潤一郎の)「陰翳礼讃」を読むと、日本文化はやはり、日本人のためにあるものだと痛感する。外国人が日本文化を簡単に理解することはできないと思うが、基本として日本文化は、日本を棲家にする人々が共有している貴重な「秘密」だと思う。でしゃばり過ぎると、その秘密が台無しになる。陰を光に晒すと、陰が消えるのは当然だろう』

こんな視点を持つ日本人がこの日本に何人いるだろうか。

ジイは今回の総裁選で有能であろう人物が総裁選を争っているが、ここで日本の文化の重要性をを語っても国民には理解されまい。当面の課題であるコロナや防衛、福祉、エネルギーなど危機管理等々今を生きる課題が中心であることは分かる。しかし、彼らの身体の中を流れる血に「陰翳礼讃」を日本人の心情の美として理解できる人間がいるかと言えば、いささか疑問である。

何故そう思うかといえば、橋本徹氏が以前大阪市長?であった時、文化予算を切り詰めようとした時があった。当然のごとく反対論が湧き上がったが、その時橋本氏が放った一言にジイはショックを受けた。

『文楽・能・狂言のどこが面白い、あんなもの、、、』と言い放ったのだ。ドナルド・キーン氏は、文楽が「生を受け」た大阪での橋下氏の伝統軽視の姿勢を批判した。

ジイは橋本氏を高く評価する一人であるが、こと日本の伝統・文化への造詣はなく、合理的な現代と未来を創造する情熱しかないように見える。そこは、現総裁候補の河野太郎氏も、同じ若手の小泉進次郎氏なども同根である。

古くさいと一刀両断にすることこそ無知無能と言わねばならない。「古典を知らずして、世界と渡り合えない」というのが、数学者・藤原正彦氏であるが、このコロナ禍で自宅待機が多い中、何をしたらいいのかという時に河野太郎氏は「英語でも勉強したらどうか」と語った。藤原氏なら即「今こそ古典を読みなさい」と回答したことだろう。

頭のいい、若者はたくさんいる。しかし、日本を愛すことを良しとしない青少年時代を過ごした若者がそのまま世に出たことによる弊害は、日本のあるべき姿を、古典や伝統から導き出すことをしなくなったことだと、ジイは思う。

日本文化、伝統軽視の方向は現知識人、次世代を担う政治家、河野氏、小泉氏、橋本氏などいみられる共通した風景である。

ジェイソン・モーガン氏は初めて谷崎潤一郎を日本語で読んだのが、「懶惰の説(らんだのせつ)」だそうだ。その内容は谷崎の言葉をかりれば「簡単に言えば『怠けることである』という。さらに、西洋文化と東洋文化、とりわけアメリカと日本との違いを強調して、自然と常に戦っているアメリカの文明と、概ね自然に任せる日本の文明を比較している。

私たちは日本文化につとに疎くなっている。それはGHQ洗脳と、ジェイソン氏が言うように反日教育の結果である。

ジイなどは、日本人が日本人らしさを失わず、日本の伝統・文化を重んじ、世界のあらゆる人種と仲良くできる日本が維持できるのであれば、何もいらないとさえ思う。ひもじくてもテクノロジーが少々遅れていても何も文句などない。

韓国人である呉善花氏の「わび・さび論」にも驚いたが、日本人が敗戦後、自ら伝統文化を忌避した後遺症が今も続いている。それを戻そうとする政治家はいない。文科省の教科書も未だ、「従軍慰安婦」なる文字を入れようと必死に抵抗する教科書がある。

日本人が日本人でなくなる日。総裁選結果次第ではそんな日が現実に来るかもしれない。と、ある種の恐怖を抱いている。