ジェネレーションギャップ

日本 雑記

Vol.2-10.1-626  ジェネレーションギャップ
2021.10.1

“ ジェネレーションギャップ ” 最近この言葉が頭をよぎる。

アイドルグループ嵐の櫻井翔くんと相葉雅紀くんの結婚報道にワイドショーも盛り上がっていたが、全く関心がない。若い世代が王・長嶋や美空ひばりに関心を示さないのと同じ感覚だと思う。

もう2、30年も前からテレビドラマも見なくなった。20年ほど前から、少しずつ若者たちの使う言葉に違和感を感じはじめ、今時の言葉使いには抵抗感がある。というより、染まりたくないと抵抗する自分がいる。

ここ30年来、新しい歌はほとんど知らない。

最近ちょっと健康維持のためにと勤めた会社で、たまに仲間たちとお昼を一緒にとることがある。例えば、TVドラマやマンガ、アニメーションで盛り上がっても、まったく話に入れない。ただ、じっと聞いているだけだ。誘われなければ一著に行くこともないが、職場の雰囲気を壊すのは気が引ける、スムーズに仕事を進めるためにもたまには必要なコミュニケーションであり、はっと気が付くことも多々ある。

ジイが見るテレビは、ニュースか、好みの映画、連続ドラマは今年始まった「青天を衝け」のみ。よく見るのは「ワタシが日本に住む理由」「ダーウィンがきた」「小さな旅」「世界の街歩き」など、ドキュメンタリーチックな作品が多い。後は「プレバト」なる俳句番組だ。

連続ドラマを楽しみに待つこともなくなった。もっぱらリアリティに楽しみを求めている。

歳とともに感動するチャンスが少なくなったということなのだろと思うが、最近、団塊世代向けか、アメリカ輸入のTVドラマでマックイーンの「拳銃無職」などのDVDが新聞広告に載ったりするとちょっと胸おどる。

ドラマなど作り物によってジイの脳に感動を呼び起こすには並大抵ではない。長い年月をかけ積み上がった感動経験がある。それを超えなければ再び脳に感動を与えることはないと考えるようになった。ところがドキュメンタリーやニュースはリアリティーそのもので、映し出される映像は実際に生きる人間の息遣いは本物である。

それは感動とは別物で、生身の人間が現実を生きる迫力である。

今日、たまたま見た「小さな旅」、藍染めの里で生業として営む藍染め職人、藍染めに生きる価値を見出し己の魂を吹き込む喜び、あるいは地元で長く人生を歩み、子供の頃からその地の歴史を見てきた老人が若き日を語り、今なお土地の希少な「ムジナモ」の保存活動の中で若者と出会い、命を引き継いでゆく。そんなありふれた日常を大切に生きる人の日々の営みには小津安二郎の「東京物語」に通じるものがある。

長く生きてくると、このリアリティこそ感動の源泉となる。

若い頃と言うのは、肉体が血が体内で踊っているように思う。溢れ出てくるエネルギーの消費にアイドルも必要なアイテム、それを一つに集中させるとスーパーな子供 “ 博士ちゃん ” のようになるのだろう。

ジェネレーションギャップはただただ「ジジイの証明」と簡単にしりぞけてほしくはない。

ジジイになれば、たくさんの思い出に浸る時間も必要である。それと同時に過去の経験を超える本物にも出会いを求める。

今年行われた五輪・パラリンピックには数多くの感動をもらった。

本物に出会いたい欲望と、思い出を食いつなぎながらも必死なる姿に憧れつづけているのだ。