大人が消えた日本

日本 雑記

Vol.2-10.14-639  大人が消えた日本
2021.10.14

『大人』が消えた日本、そんなタイトルの吉本ばなな氏のインタビュー記事が雑誌にあった。

「キッチン」「TUGUMI」でベストセラーを連発した日本を代表する人気作家である。キッチンからもうすでに34年が経つとは、、、時間の過ぎるのは早い。

このコロナ禍において以前よりさらに余裕がなくなり、他者の事情や感情を慮る人間がいなくなったと分析した吉本ばなな氏。現代社会をどう見たか。

◆大人について考える
誰にも言わないで、自分だけで考えられことがどれだけあるか。「自分はこう考える」という立ち位置を持っている大人。雰囲気に流されず、まわりの空気に呑まれることなく自分だけが考えていることを大事にする大人が、昔に比べれば少なくなった。

確かに東大出の優秀な人間はいる。しかし限られた範囲の中だけでいきていて、自分の外の世界を知らなければ、それはやはり「大人」と言えない。

◆希望は若者
なぜ、大人は減ったか。
子どもが子どもを育てて、またその子どもが子どもが子どもを育てている状態が続いている。
そう思う一方で、今の若い人たちは私たちの世代とは違い、「できないことはできない」などとはっきり言う。じつはそんな若者たちの姿勢が、もしかしたら世の中を良い方向に向けるかもしれないと感じる。

例えば町内会の回覧板。かつては回しながら助け合いがあったが今は形骸化している。潔く切り捨てている若者のほうが正解かもしれない。

かといって若者にコミュニケーションがないわけではない。ネットを使って何がしかの社会を持っている。危ういのは30代から50代で、どちらも希薄である。

◆飲み屋で名刺を出し始めた
不況になって久しい。昔は飲み屋での仕事話はご法度だった、今はそのマナーさえない。タクシーもGPSで管理され、昼寝もできなければ、雑談さえできない。近頃、運転手から話しかけられることさえない。すり減らされた人たち、ボディブローのように社会の空気を浸食しているのかもしれない。

◆他者の事情や感情を無視
東日本大震災のとき「被災地にすめなくなったのならば引っ越せばいいじゃないか」というとんでもない論調があった。それと同じで、コロナ禍、30年居酒屋をやってきた人に「他の仕事をやったら?」とは言えない。言ってはいけないと思う。

他者の事情や感情を想像する力が欠如している。まさに大人がいなくなった。
ネット上で口を開いている人は基本的に無視していい。少なくとも一般論の代表として受け止めるのは危うい。

誰かが何かをズバッと言うと、確かに目立つ。でも、一般社会で暮らしていると、実際にそういう人は少ない。黙って普通に暮らしている人の方が多いというイメージは、常に持っていて損はない。

その意味で、自分の立ち位置をしっかり保った「大人」になることが、私たちに今もっとも求められていることかもしれない。、、、、と結んであった。

タクシー運転手の話ではないが、何から何まで電子機器に管理され、ギアでいう遊びがなくなった。人間らしさがなくなるのはやむ得ないだろう。

そう言えば何年か前になるが、差別用語が取り沙汰された、「つんぼ」「めくら」「ボケ」「みなしご」等々「ホモ」がだめで「ゲイ」は良い?なんじゃそれと思いたくなる。極端な人権重視から入院を確認することすらできなくなった。大きな事故で死者が多数出た場合、家族の承認なくして簡単に名前すら出せない。何とも不寛容な世の中になった。

向かい三軒両隣は、田舎だけでしか通用しない。年寄りは人を信じればオレオレ詐欺に騙される。金持ちの老人も悠々自適とはいかない。頭脳武装で脳溢血になりそうだ。

若者は減少し、老人は増えるばかり。ジジイも含め我が日本の老人世界を若者はどう処理していくのだろう。

お互いを慮ればどうしても安楽死は避けられない。元気なうちは良い。健康保険証に臓器提供意思表示の記入欄があるように、条件を満たした時の安楽死希望を設けるべきである。ジイのような老人・団塊の世代こそ、その声をあげるべきではないか。

後世を担う若者へのせめてもの善意と、人生の最期ぐらい厳かな気分で行きたい。それはジイだけの我がままであろうか。