芸術

Vol.3-28-74  芸術
2020.03.28

朝早くである。
ラジオをつけたらたまたま田島征三がインタビューを受けていた。
とっさにどういう人物がわからなかったが話を聞いているうちに絵本作家だとわかった。
そう言えば孫の絵本を買う時に聞いたことがあるようなないようなと思いつつつい聞き入ってしまった。

田島氏は高知で幼少期を過ごしたそうだが、高校の時に夏季講座があって、その時たまたまである。岡本太郎という鬼才に出会う。
始めて目にする岡本太郎の話にかなりのショックというかトラウマになるほど感銘を受けたと語った。

その後20年ほどたったある日、ある画廊のトイレでばったり岡本太郎と出会う。
運命というのだろうか。田島氏は昔、高知で感動した話を岡本にする。岡本はその時のことを覚えていて、その時を思い出したように話し出した。

芸術家というのは努力重ねて階段を一つずつ登っていって成り立つものじゃないんだよ!!、毎日真っ白にならなきゃあダメなんだよ!、と、例の迫力ある言葉で語るのである。

昨日の経験を生かして、今日何かを作っちゃいけないんだ。そんなもの捨てなきゃだめだ。と迫力ある言葉が続いた。
縄文の土偶の素晴らしさを語った。アトリエに籠っていてはいけない。とも言った。

面識のない田島に岡本は熱く語った。
芸術家同士、直観する何かがあったとしか思えない。

田島氏はあの高校時代の感動のトラウマを抱えつつ、どこか反感を持っていた。
何が芸術だ。え~あれが芸術かよ、と情熱を裏返した反骨である。

ところが今、老境に入り、岡本太郎が言ったことを実践している自分に気づいたという。

田島征三は1969年に東京都西多摩郡日の出村に移り住み、ヤギやチャボを飼い畑を耕す生活をしながら、絵本などの創作を続けていた。ヤギの乳を飲み、チャボの卵を食べ、自分で作った野菜を食べ、何の贅沢もせずというか、貧しき中に作品への情熱が掻き立てられるような作家だった。

ところがある時、出版社の度重なるお願いに根負けし、書いた作品が大ヒット、極貧から豊かな生活へと変わってしまう。
これではいけないと、その作品を絶版にし、今までの作風を全て破壊し、新しい画風を創るため、苦悩をともなう闘いをはじめると言う作家なのだ。まさに岡本が言った作った作品は忘れろ、真っ白になるんだ!をいつの間にか実践していた。
まさに、芸術家たる所以だろう。

80歳になっても情熱はいささかも衰えない。
やる気があれば何でもできる。
情熱だけで生きてる。
新しいものをつくりたい。その一点では岡本太郎と同じだ。

自分の作った作品はすぐに忘れる。

ある時、たまたま見つけた作品にびっくりする。それが人から教えられるまで自分の作品だと気が付かない。
そんな自分でいたいという理想に近づいている、というか、すでに理想郷の中に生きているのかもしれない。

そんな作品をつくりたいと今、「さかなと少年」に取り組む。
少年が初めて魚を掴んだ時の気持ちを絵で表現することの難しさを語る言葉にあくなき情熱が伝わる。
衰えない情熱。病床であれ最後まで作品を作り続けた、正岡子規しかり、石川啄木しかりだ。

芸術とは真の芸術家にとって命と同等のものなのであろう。

その命から生まれた作品がその芸術家を超える芸術作品になった時、作家の手を離れる。

誰が語ったかは忘れた。

「偉大な芸術とは、その前で我々が死にたいと願うところのものである」と、

芸術品とは危険なものである。

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雑記

Posted by 秀木石