一茂発言が問うもの

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Vol.2-11.13-669  一茂発言が問うもの
2021.11.13

ネットニュースを見ていたらタレント・長嶋一茂が炎上していた。

まあ、一茂くんの出るどの番組を見ても、一見深く考えていないような発言は、 “ ネットスラム ” の現代においては確かに物議を醸しだすことはほぼ予想のつくところだ。

今回は、11月5日放送の『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日系)では、10月31日に発生した京王線の列車内での刺傷放火事件について特集番組の中での発言らしい。

ほとんどの方はこの事件につき概略を承知のことと思うが、犯人は殺傷目的でサバイバルナイフを社内に持ち込み、人を切りつけたあげく持ち込んだオイルに火をつけたというものだ。

ニュースでは人が逃げる様子が映し出されていたが、現場は当然パニック状態になったことは想像に難くない。

そんな事件の概要を理解しつつ、長嶋一茂氏は
「今後も残念ながらこういうことは起こり得る」「模倣犯も出てくる可能性もあるし」と指摘しつつ、電車内が密室状態となっていたためにパニックが起きやすい状況になっていたと分析した。

また、一茂氏は身を守る安全策としてスタンガンの携帯などを提案していたが、直後、「個人的には、もうちょっとここに乗り合わせた男性諸氏、なんとかならなかったのかなという思いもあるんだよね」と発言した。

この発言にネットが炎上したのだ。

「相手が何するか分からないのに無理だろ」
「なんで男だけ命張って他人助けないとだめなんだよ」
「安易に言うな」
「これ問題発言でしょ」
「刃物持ってる相手じゃ格闘家でも無理」
等々の発言が殺到したのだ。

この問題にからんだコラムが産経新聞にあった。
産経記者本人も、「もちろん私だって現場に居合わせたら、生存本能に突き動かされて逃げたはずだ」としつつ。長嶋発言はとても大切な問いを含んでいるように感じる。といい次のように書いている。

『無事に逃げた後で、現場でほかに何かできなかったか、と煩悶するかどうかが、人間と動物を分かつ明確な指標となると思う。この煩悶こそが人間の人間たるゆえんであり、精神文化を育む土台となるのではないだろうか』

『生存本能に従うだけであったなのなら、人間は動物のままだったに違いない。長嶋さんの問題提起を、ひと言のもとに斬って捨てる一部の風潮に、日本人の精神の貧困化を思わずにはいられない』

ジイもこの意見に同感である。名前も明かさず好き勝手に言いたい放題のネット言論。時に政治をも動かす怪物になってしまった。まさに “ ネットスラム ” 無責任人間のはけ口として現代の病巣である。

新聞のコラムは2000年(平成12年5月)に起きた事件に触れている。
『牛刀を持った17歳の少年が起こした西鉄バスジャック事件で、少年は走行中の車内で乗客3人に切りつけ、女性一人が死亡した。事件後、作家の曽野綾子さんはあるコラムで、乗客の男性たちが、よろい代わりに自分のスーツを腕にぐるぐる巻きにして、少年に立ち向かうことができなかったのか、と勇気ある問題提起をした。現代なら間違いなく大炎上していたはずだ』

こんな過去のエピソードとともに、戦後日本人が忘却した気概。国が自主独立を守るのにも、個人が自律的に生きてゆくのにも、その根本で求められるのは、自分で自分を守る覚悟と勇気である。とした。

長嶋一茂氏、親の血を引いて、明るく天真爛漫である。幾分配慮が欠け的外れなところがあるが、率直で核心をつく意見も間々ある。思えば父、茂雄氏は天をつくような天真爛漫の中にも決して人を傷つけるような発言はなかった。生まれたままの純真無垢まるで菩薩のような人間である。

それはともかく、一茂発言は日本人が失くした大切なものを気づかせてくれた。その反面、 “ ネットスラム ” から発せられる言葉が正当性をもって受け取られる怖さを感じる。

 

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