日米開戦80年

世界,日本,雑記

Vol.2-12.9-695   日米開戦80年
2021.12.9

80年前の12月8日、日本海軍の真珠湾攻撃によって日米開戦の口火が切られた。

80周年ということで盛んに80年記念番組が放送されている。しかし、すべて「太平洋戦争」としての報道である。

ジイが子供の頃、爺さんたちが話す戦争の話は “ 大東亜戦争 ” であった。子供心に何故 “ 大東亜戦争 ” というのだろうと不思議に思っていた。きっとじいちゃんたちは学校へ行ってないから本当の名前を知らないんだ。と思っていた。

大東亜戦争をいう呼称は日米開戦の2日後の昭和16年12月10日の大本営政府連絡会議で決まり、同12日の閣議で正式決定された。
しかし、戦後、GHQの「神道指令」によって禁止しされ、代わって「太平洋戦争」が強制的に使われるようになった。その真実を知ったのは大人になってからだ。

何故GHQは変更を強制したのか、その理由は、日本の目指す大東亜新秩序を目的とする「侵略戦争を肯定する意味合いを持つ」という理由からである。

確かに大東亜解放という目的があったことは事実である。在日外国人記者の英国人ヘンリー・S・ストークス氏は「日本は欧米の植民地を占領し、アジア諸民族を独立へ導いた。アジア諸国は日本によって白人支配から独立した。『侵略』ではなく『解放』したのですと語っている。

パール・ハーバーは一般的には日本の奇襲攻撃といわれるが、ヘンリー・S・ストークス氏と加瀬英明氏・共著の「何故、アメリカは対日戦争を仕掛けたのか」(祥伝社新書)には、開戦前のアメリカ重鎮たちの重要な会議記録の記載がある。

『11月25日に、ルーズベルト大統領がホワイトハウスに、ハル国務長官、スティムソン陸軍長官、ノックス海軍長官、マーシャル参謀総長、スターク海軍作戦部長を招集した。・・・・・

この時の記録によると、スティムソンが「・・・日本に最初に撃たせると危険もあるが、アメリカ国民の完全な支持を取り付けるためには、確実にジャップ(日本)に第一発目を撃たせることが望ましい」と発言した。

会議は、
「アメリカに過大の危険を招かぬように配慮しつつ、日本の方から攻撃せざるを得ないように仕向ける」ことで合意した。
スティムソンはこの日の夜、「問題はいかに彼ら(日本)を誘導して、われわれがさほど大きな損害を蒙ることなく、最初の一発目を撃たせるかだ。これは、難しい計略だ」と、日記に記した。』

そうして、東郷外相が「眼もくらむ思いがした」と回想するほど、日本を追い詰める脅迫状、俗にいう「ハル・ノート」が日本に突きつけられたのである。

東京裁判で判事を務めたインドのラダビノト・パル判事は、この「ハル・ノート」を見て、「たとえ、モナコのような小国であったとしても」、敢然として戦うことを選んだだろうと述べたのをみても、誰がみても「戦争しか選択肢がない」内容だったのである。

アメリカは日本が真珠湾を攻撃するのはすべて暗号を解読し分かっていた。どうしても日本に先に手を出してほしかった。その証拠にパール・ハーバーから新鋭艦空母2隻をすでに避難させていたことでもルーズベルトの思い通りの展開だった。

日本の宣戦布告ミスは、渡部昇一氏の「昭和の大戦への道・P218」(WAC出版)に詳しい。

ところで、大東亜戦争の呼称だが、本来なら戦後GHQの占領が終了した時点で、憲法改正も、太平洋戦争の呼称も元に戻すこともできたのである。それをしなった日本はよほど、洗脳されてしまっていたか、その力さえなくしていたと解釈するより仕方ない。残念でならない。

しかし、日本の経済も政治も安定した昭和30年代に、GHQに曲げられた日本の伝統やあるべき姿を元に戻す、戦時の清算をすべきだったのではないかと思う。

その後遺症は今も、戦争の時代をすべて否定し、さらに自ら自虐史観を信奉し手足を縛り、日本の防衛費増加には「戦争に突き進むのか」とレッテルを貼る始末である。日本を脅迫し、日本の4倍以上の軍事費増強をする中国には沈黙する。歪な日本の姿が、パール・ハーバー80年目の真実である。

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