1%の超富裕層

世界,日本,雑記

Vol.2-12.31-717   1%の超富裕層
2021.12.31

先日、ニュースで「世界上位1%の超富裕層の資産が今年、世界全体の個人資産の37.8%を占めた」とあった。

世界の1%だから、約5100万人で、世界の個人資産の4割を持っているということだ。地球上全体での話だからそれもありかな、とは思いつつ、すっげぇーなあ~と驚く。

さぞかし、不動産、無形資産、当然現ナマも、貴金属も腐るほどあるのだろうが、世界のマフィアも狙うだろうから身の安全のための警備も超ど級の鎧でかためなくてはならない。セキュリティ対策ですら、うん十億のことであろう。

特に最上位の2750人だけで3.5%にあたる13兆ドル(約1490兆円)というからもう天文学的数字である。今日の100ポイントであたふたする人間には想像もつかない。

日本の国家予算が約100兆円だから、日本の国家運営を15年間、たったの2750人で賄えるという額だ。恐るべしだ。

数年前にフランスの経済学者トマ・ピケティ氏が「21世紀の資本」という書籍を出版し日本でも話題になった。

ピケティの『21世紀の資本』は緻密なデータをもとに、世界に広がる経済格差とその対策について書かれた本である。

その本によれば、先進国のGDPの成長率のピーク期は終わり、21世紀末にはさらに下がるとされ、さらに人口減少という要因が拍車をかけ、全体の経済成長が停滞する。その結果貧しい人々が増えるという。

まあ、それは何となく理解できる。

彼らがデータを分析した結果、不動産や株のことなどの資本での所得が1975年以降、富裕国(アメリカ、ドイツ、イギリス、カナダ、日本、フランス、イタリア等)では、国民所得に占める資本所得の比率が上昇しているという。

ということは、汗水たらして働いて得る収入より、不労所得で稼いでいる人(富裕層)が多いということか。

『21世紀の資本』では、膨大なデータを分析した結果、「資本収益率はつねに経済成長率より大きいという不等式が成り立つ」と主張している。

ピケティによれば、従来、格差問題は、経済成長によって解決すると思われていたがそうではない。経済成長を期待して、資本主義を放置すれば、ますます格差が拡大するというのだ。

長期的にみれば、「資本収益率は経済成長率よりも大きい」という。つまり、いくら働いて高収入を得ても、土地や株などに投資して不労所得を得るほうが、断然儲かると言っているのだ。資本(土地や株)を持つ人は、経済が成長するよりも迅速に、自分の資本を増やすことができる。という理屈だ。

そこでピケティ氏は、この世界の貧富の格差を是正するために、「累進課税の富裕税」を、世界的に導入し、資産の再分配をすることを提案している。というのがこの本の言わんとしていることだ。

皆さんも、大いに土地や株を買って儲けようではあ~りませんか。ということになるのだが、肝心の金がなければ話にならない。

このピケティ氏らが創設した「世界不平等研究所」なるものがある。世界70ヵ国以上から100人を超える研究者が参加する「世界不平等データベース」をつくり、情報を公開しているそうだ。不平等?を無くそうという目的か、やっかみあのか?わからないが “ 不平等 ” なる名前が気に食わない。

しかし、ジイなどは超富層と聞いてもピンとこない。

ジェフ・べゾス、ビル・ゲイツなどの名前を聞いても、すっげーなあと思うだけ、うらやむこともなければ、そうなりたいとも思わない。そこまで超富裕にならなくてもそこそこ生活できて、楽しく健康に過ごせればサイコ―と思う凡人である。

それなりの富裕者は、莫大な資産を相続したなら別だが、それなりに頑張ってきた人物だと思うが、、、。時には幸運にも恵まれたかもしれない。しかし、いつも向上心を持って懸命に働いていなければ、目の前にあるチャンスさえ気づかなかったはずだ。彼らはそれをつかんだのだ。

何事にも本気で真面目に情熱をもってすれば、必ずチャンスはあると信じる。誰かが言ったではないか、“ 幸運は頑張っている人に舞い降りる ” と。

全てがそうだとは思わないが、大多数の人はジイも含めてそれなりには頑張っている。髪の毛を逆立て、寝る間も惜しんで、それこそ寝食を忘れるほど頑張ってきた人はやはり少数であろう。それを本当にやり遂げた一握りの人にさらに金運が舞い降りたのである。しかし超富裕層が超幸福とイコールではないと推測する。

伝記でも読まないとわからないが、漠然とそう思う。

ピケティ氏のいうように、超富裕層からは「累進課税の富裕税」なるもので多くの税金をいただいくという手はあっていいと思うが、不平等という考え方はどうも違和感がある。

世の中すべて平等ではない。不平等が常である。

坂上二郎氏の歌ではないが、「~♯ 生まれた時は誰でも同じ 裸で産声上げるのに 子どもの時から~ それぞに~ 違った道を歩き出す~・・・♭」

人それぞれ顔・形が違うように、平等なんてありえない。何をもって平等とするのかも難しい。世の中に際立つ不条理があっての不平等はいかがなものかと思うが、世の約束事、法律や、法令に則っていてもなお不平等と思うこともある。

チャンスの平等が保たれれば良しとしていいのではないか。しかしそういって苦労して入った会社がつぶれる不幸さえある。世は決して平等ではない。

アメリカの超富裕層は多くはチャリティやボランティア活動、及びそれなりの施設に寄付を行っていると言う。自分の懐具合に合わせて貧しい人間への分配は気持ちのいいものである。大いにやってほしい。金持ちの特権である。

もう今日で今年は終わる。年を越せず段ボールをベッド代わりの人もおられるだろう。そんな人にも食事を届けるボランティアの方もいる。頭が下がるが、よほどのアクシデントがあれば別だが、真面目に働き、人を愛し、世の中に貢献しようとの心がけがあれば何とか生きていけるような気がする。

ジイのような年寄りになると、口に出るのは “ 健康が一番 ” 。年をとって初めて実感する言葉はこれ以外にない。超富裕層も決して例外ではあるまい。

そして、いずれ永遠の眠りにつく。ここにきて初めて例外なき平等を享受して幕を閉じるのである。

ああ、、湿っぽくなってはいけない。この1年に感謝して来年も明るくヤッホーの気持ちで頑張って生きたい。

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