北方領土の日

Vol.3.02.07-755   北方領土の日
2022.02.07

今日は哀しい北方領土の日である。

外務省のホームページには
◆1855年2月7日,日本とロシアとの間で「日魯通好条約」が調印され択捉島とウルップ島の間に国境が確認されました。それ以降も,択捉島,国後島,色丹島及び歯舞群島からなる北方四島は,一度も他国の領土となったことがない,日本固有の領土です。しかし,1945年に北方四島がソ連に占領されて以降,今日に至るまでソ連・ロシアによる不法占拠が続いています。

政府、北方領土問題に対する国民の皆様の関心と理解をさらに深め、返還運動のいっそうの推進を図るため、「日魯通好条約」が調印された2月7日を「北方領土の日」に制定しました。とある。

当時の島民の方には申し訳ないが、占拠されて77年、国民の間には返還運動も、政府間交渉にも虚無感しかない。

首相が変わる度に行われてきた返還交渉も結局、ソ連、ロシアに言いようにあしらわれてきた感がぬぐえない。

*1956年、日ソ共同宣言で→歯舞群島及び色丹島については、平和条約の締結後、日本に引き渡すことにつき同意した。

*1960年、1956年の同意に基づき交渉を進めるも、「日本領土からの全外国軍隊の撤退という全く新たな条件」をつけるなどし、結局約束は反故にされてしまった。

*その後、1973年、ブレジネフ書記長は、北方四島の問題が戦後未解決の諸問題の中に含まれることを口頭で確認しておきながら、「領土問題は存在しない」という不誠実な態度に変節した。もともと返す意思などなく、傍から見れば遊ばれているに等しい言動であった。

その後、会談の都度、「四島の帰属の問題を解決して、平和条約を締結するよう全力を尽くす」との言葉が繰り返されるだけで、全く進展しないのが日露交渉の現実である。

その後も同じ文言の繰り返しである。会談数が31年で11回、これだけ首脳が会談し一歩も前進しない国家間交渉なんてあり得るのか。いい加減、遊ばれていることぐらい分かりそうなものだが、「一歩前進」などとナイーブな反応は、国民を白けさせるより無関心に追いやった。

*1991年 ゴルバチョフ大統領 *1993年・1997年・1998年 エリツィン大統領 *2000年・2003年・2013年・2016年・2018年・2019年・2020年 プーチン大統領、以上が首脳会談。

ソ連からロシアに変わっても何も変わらない北方4島の交渉。一時期大統領の座にあったメドベージェフなどは、2012年突然北方領土を訪問し、「北方領土はロシア固有の領土であり、たとえわずかでも渡さない」と言い放った。

これが、ロシアの本音である。よくもまあ、77年相手はまったく返す意思もない領土交渉を本気?で続けてこられたものだ。ロシア国民のすべてがロシアの領土だと疑わずに思っているものを、いくら独裁プーチンであっても領土を渡すなどあり得ない話である。

『領土問題』は日本から経済支援や投資を誘うためのエサでしかなかった。エサが効かないと思ったプーチンは数年前、憲法を改正し、領土割譲を禁止する項目を入れた。口では「北方領土は別だ」などというが、それもあり得ない話で、何とか細い糸で繋いでおこうという口八丁手八丁のたぐいである。日本をバカ扱いするのもここまできたという感じさえ持つ。

日本はその上でどうするかを考えなくてはならない。
先ずは(1)諦めない。 (2)ロシアによる不法占拠状態を世界に発信しつづける。(3)平和条約締結は北方領土返還後とする方針を絶対変えない。 (4)経済協力はこちらから絶対持ち出さない。(5)国交は必要最小限とし日本からアプローチを絶対にしない。

以上5点を頑なに守り続ければ必ずやチャンスは来る。

悪と独裁は必ず滅びる。ソ連やナチスがそうだったようにいつかくるチャンスを逃さないように、国民は北方領土を決して忘れず、あらゆる方法で意識しなくてはならない。それは学校教育であったり国際広報であったり、北方領土の日のイベントであったり、いつか必ず取り戻すという意志の継続が大事である。

ここは、韓国の1000年の恨みではないが、静かなる闘いとして政府主導の北方領土を取り戻す100年スローガンが必要であろう。国民に募集するのも手である。

そんな地道な計画と運動こそ、ドンパチよりも、ロシアにとって大きな脅威であることは間違いない。

先ずは日本人自身が改めなくてはならないのは竹島、北方領土などに対する領土意識である。日本人が生きてきた証は領土があってこその日本である。先人が生きてきた日本の領土を決しておろそかにしてはならない。

ブログランキング・にほんブログ村へ

日本,雑記

Posted by 秀木石