石原慎太郎と橋下徹

日本,雑記

Vol.3.02.12-760   石原慎太郎と橋下徹
2022.02.12

<橋下徹・弁護士(現52才)>
2008年1月 大阪府知事選挙で当選。同年2月6日に大阪府知事に就任(39才)。
2010年4月 地域政党大阪維新の会を結党し代表に就任。
2011年11月 自らが掲げる大阪都構想などの政策実現を目的として、任期を3ヶ月余り残して大阪府知事を辞職、任期満了に伴う大阪市長選挙に立候補
2011年12月 第19代大阪市長に就任。知事経験者が政令市長に就任したのは史上初。
2015年5月 大阪都構想の賛否を問う住民投票を行い否決される。
2015年12月 おおさか維新の会代表を退任
2015年12月 大阪市長の任期を満了し、政界から引退した。

この8年間の歯に衣着せぬ激しい言動と有言実行は良きにつけ悪しきにつけ日本中に物議をかもした。しかし、一切物怖じせず闘う橋下氏に石原氏は感じるものがあって声をかけたのであろう。

BSプライムニュースで橋下氏をゲストに、石原氏の追悼番組があった。

追悼映像に、石原氏は橋下氏を「こんな演説の上手いのは角栄以来だ」とほめていたが、ジイはそれよりも若くして大都市の知事になり8年間、自己の信条とはいえいきなりやりたい放題。どんな相手にも堂々と論理的に攻め、決して引かない根性に将来を担える逸材と見て取ったのであろう。

「東京って華やかに見えるだろ?でもその土台の精神的脆弱性はステージ3レベルだな。自立性のない国民が作る国家は遂には亡ぶ。東京と大阪で力を合わせて大手術をやろうじゃないか」、と石原都知事は橋下氏に声をかけた。

石原氏が初めて、本気で「こいつなら一緒にやれる」と確信したのはズケズケと物言う姿に、自らの若き姿をダブらせたのではないか。

初めての会話でも「僕は『若い世代は石原さんが思っているほどヤワじゃないと思いますよ』と少し反抗的に答えた。」というように、石原氏に対しても反抗的精神は健在だった。しかし、橋下氏にはこの人にはと思う相手への心遣いは心得ていた。

どのような問題にも即座に反論する。すべて現代に生きる論理で成り立っている。石原氏の「今の若い世代は・・・」という年配者の通例のような発言を咀嚼することすら無駄と考える人間である。

「今の若い世代は・・・」という言葉の裏側には、戦後の東京裁判を実際に傍聴した人間の複雑な心情が日本人の血として体に染みついている。かたや高度成長をまともに受け、豊かな日本と平和以外を知らない世代ギャップ。橋下氏にはその歴史観を忖度する情緒以上に、今を生きる時代を語らず、過去を語ってどうする、オヤジの郷愁に浸る暇はないという現実派である。

自主憲法に執着する石原氏、今の憲法で生きてきた橋下氏にとって全否定の発想は受け入れられるものではない。今まで生きた人生を否定されるに等しいと考えても不思議ではない。何故なら、橋下氏は今の憲法下で生き、何一つ不自由なしに生きてきたからである。さらに、彼は弁護士として、憲法を土台にメシを食う人間でもある。「すべて破棄して自主憲法を作るべし」と言われてもすぐには納得できないことは彼の性格からも理解できる。

石原氏は、彼の知事時代から市長時代を通じて見てきた8年間にその性格を理解し、自分に異論を唱える橋下氏であっても、こやつが何時か歴史を肌で実感し、国家観を持った時、保守本流として我が意を理解し、引き継ぐ逸材と見極めて愛情をそそいだのではないかと推測する。

昨年12月、二人は「皇室・靖国神社・日の丸・君が代・戦争責任」について心のままに思いを交換している。ジイはほとんど石原氏の考えに賛同する者であるが、戦争責任については意を異にする。

この時点でも、橋下氏の国家観は一向に見えてこない。どんな会話を交わしたのか知る由もないが、あまりにもデリケートな問題で現時点では公表できないと言った。

ジイが想像するに、高度成長と平和な日本を満喫して育った橋下氏、どれほど鋭い論理的思考に長けているとはいえ、三島由紀夫から経由する国家観と昭和の多くの知能と交差した石原氏と齟齬なく交合うことはなかったであろう。

橋下氏の中学校時代のエピソードではないが、「クラスがもめた時、互いの主張を取り入れて解決するのは必ず橋下だった。論理立ててものを述べる交渉術は当時から卓越しており、教師から見てもこちらが見透かされているような怖さがあった」との逸話があるように、今現在の問題を論理で解決する能力で優れている。

そこには、歴史だとか、伝統だとか、文化が醸し出す情緒など橋下氏にとっては不要な要素、「今何が必要か」以外は余計とする思考に思える。見えない力より見える力こそが大事、天皇が「万世一系、125代の天子様の皇統が貴重な理由は、神話の時代の初代・神武天皇から連綿として一度の例外も無く、『男系』で続いて来ているという厳然たる事実」の重みに思いを馳せるにはまだ少々時間を要するのではないか。

もし、橋下氏が同時代に東京都知事になっていたとしたら、尖閣諸島の窮地に『東京都が買い取る』という発想は思い浮かばなかったであろうということだ。これが石原氏に日本人を感じ、橋下氏に日本の血の匂いを感じないという決定的違いだ。というのがジイの実感だ。

プライムニュースで最後に石原氏と交わした言葉に言及すると、一瞬言葉をつまらせ、沈黙が続いた。目に涙をためて言葉を飲み込み、やっと絞り出すように「今は話せない」と語った。

この一瞬の出来事は、ジイから見て将来理解する時がくるかもしれないという希望を持たせてくれた。

石原氏は日本の情緒、わび、さびという大和心を橋下氏から聞ける日をあの世の楽しみとしたのではないか。

“ 友よ!ありがとう! ” の別れの言葉にそれをみる。

ジイがもし、その姿を見届けることができたなら、あの世で石原氏に伝えよう。天国にはきっと垣根も何もないであろうから。

 

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Posted by 秀木石