サンフランシスコ講和条約70年

世界,日本,雑記


Vol.3-4.9-816    サンフランシスコ講和条約70年

2022.04.09

第二次大戦で敗戦、焼土と化した日本。7年の占領期を経て真に独立国となってからまだ70年である。

その「サンフランシスコ講和条約」が発効し、今年4月で70年を迎えるにあたり産経新聞はシリーズで振り返っている。

その中で、最近あまり聞かないODAの話があった。ODAと言えば、中国をはじめ東南アジアに大いに貢献した日本の隆盛期を象徴する社会・経済全般にわたる支援プロジェクトである。

しかし、今では発展途上国とされていた中国の驚くべき急成長によって、ユーラシア、アフリカからインド太平洋地域全般を含む巨大経済圏構想「一帯一路」戦略によって、中国の支配地域は急速に拡大した。日本のODAでの支援もほぼ「一帯一路」構想に置き換わったといってもいい。

最近では米中の経済戦争勃発で、「一帯一路」も影を潜めているがインド太平洋地域における小国はほとんど「巨大経済圏構想」の融資戦略に取り込まれた。その多くの国がいわゆる借金漬けにされ政府債務がGDP10%を超えた国は実に42ヵ国にも及ぶ。

インド太平洋地域の小国は融資攻勢をしかけられ、いわゆる「債務のわな」にかかりにっちもさっちもいかない状態にある。

その中には、「サンフランシスコ講和条約」で日本の独立を支援してくれた恩人ともいえるスリランカも含まれている。

「サンフランシスコ講和条約」でスリランカ代表・ジャヤワルデネ氏は演説で
「アジアの国々を活気づけるためにーセイロン、インド、及びパキスタンーにおける日本への主な考えは、日本は自由な国にするべきであります。・・・我々は賠償請求の権利を行使するつもりはありません。・・・大教導師の “ 憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む ” との言葉を信じるからです。この条約は敗北したものに対するものとしては寛容な内容でありますが、我々は日本に対して友情の手を差しのべましょう。」と演説し、倍賞請求の放棄を宣言したのである。

日本の全権代表で首相の吉田茂はメガネを外し、涙をぬぐったという。

日本はその後復興を果たし、アジア諸国に賠償を行い「償い」も込めてODAを通じそれらの国の発展を支えたのである。

今、そのスリランカの最大都市コロンボで、中国による大規模開発事業が進んでいる。しかし、中国の進める融資の罠にはまり、債務返済に窮し、ついには埋め立て地の約4割を中国企業へ99年間に及びリースせざるを得なくなった。

開発は、269ヘクタールに金融センターや商業地区、カジノなどを整備し、経済特区とするようだが、「ミニ中国」と揶揄される始末だ。

日本の技術が貢献したのは、最近ではインドネシアの首都ジャカルタでの「日本式地下鉄」だけ、ほとんどが中国資本に席巻されている。

ODAが戦後の日本の経済を活況に導いただけでなく、独立したばかりの東南アジアの安定と共産化を防ぐ意味でも大いに貢献してきた。ところが今ではピーク時の半分、中国の物量に負け、倍以上の差をあけられてしまった。

これからどうするか。信頼度と質において十分影響力を行使することは可能である。日本のように誠実できめ細かい援助で国益に結びつけなくてはならない。

今回のウクライナ戦争のように、ロシアの危険な無法振りを見せつけられると、同じ野望と国家体制の中国によって、東南アジア・アフリカをカネの力で制覇されては、安全保障の観点からも極めて危険である。

日本が発議した自由で開かれたインド太平洋構想」を盤石にするために強いリーダーシップをとることが、強力な安全保障対策になるのではないか。

「サンフランシスコ講和条約」当時、日本が復活する第一歩を踏み出したときの熱い思いを今こそ想起し。自由主義陣営のリーダーとして経済安全保障構築の最前線に立つ勇気が必要である。

それにしても70年前の講和条約の恩人である「スリランカ」、背に腹はかえられなかったと思われるが、何故、日本の手で再興できなかったのか残念である。

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