政治とスポーツ

スポーツ,世界,日本,雑記

Vol.3-4.10-817    政治とスポーツ

2022.04.10

スポーツ界においてロシア選手の締め出しが行われている。

それに対し、ロシアの各競技団体が反発し、スポーツ仲裁裁判所に相次いで提訴するという事態が起きた。

ウクライナ侵攻に対する措置として、各国際競技団体がロシアの選手を認めない措置をとっており、それを不服としたものだ。

提訴したのはロシアのサッカー、スケート、バイアスロン、ボート、ラグビー、体操などだが、それぞれにトップ選手が名をつらねている。

ほかにも、ロシアオリンピック委員会もヨーロッパオリンピック委員会に、ロシアとベラルーシの選手と役員の2022年冬季欧州ユース大会への参加を認めないことなどを不服として提訴した。

スポーツ界のロシア外しに、ロシアが猛反発しているというのが現状である。

本音は口に出せないが、ロシアのスポーツ選手の根底には、「自分たちはウクライナの侵攻に関わったわけではない。どうか政治とスポーツを分離して考えてほしい」という気持ちがある。 もちろん、世界のスポーツファンもそのことはわかっている。

ジイも個人的には選手の気持ちは十分理解できるが、今回のウクライナ侵攻は、ロシア人として、さらには人間として正当な戦争であると世界に胸を張って言えるか?ということだ。

例えば、オリンピックのような世界的なスポーツの祭典には、 「スポーツを通した人間育成と世界平和を究極の目的」としているように世界平和を謳っている。

先ずは、平和を乱す行為に先陣を切ったのはロシアである。世界の説得にも耳を貸さず、ロシアの身勝手な理由による一方的侵略は明白である。

ロシアがいう「特別軍事作戦」の内容が実に不明瞭であった。正当性のない侵略は「テロ」である。自信をもって主張できるならば、国家は何故、正々堂々とロシア軍隊が戦う姿を自国民に見せないのか。戦争の実態を隠そうと情報統制を敷いたり、ネット情報を遮断、反ロシア発言の弾圧。国民に戦争の実像を隠そうとする国家意図は何のためか。

ロシア自身が常任理事国である国連憲章の第1条に
「国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並びに平和を破壊するに至るおそれのある国際的の紛争又は事態の調整または解決を平和的手段によって、かつ正義及び国際法の原則に従って実現すること。」とある。

今回の戦争は「国際法」に則った戦争なのか。

「戦争犯罪」と断定された事象すべて「ウクライナ側のでっち上げである」の一言で片づけているが、世界が流す映像を見るかぎりロシアの言い分はまったく通らない。その映像がフェイクであるというなら、ロシアが正しい映像を国内に、さらには世界に発信すればいいではないか。

ウクライナ市民への攻撃、民間の建物、病院、劇場、学校へのミサイル攻撃、虐殺、拷問、レイプ、略奪などありとあらゆる悪行はすべて国際法違反である。

また、ロシア軍兵士による「洗濯機にテレビ、電動スクーター、エアコン」など、市民の自宅や商店から略奪したとみられる品物を隣国ベラルーシから母国へ送っていた疑いが浮上している。

昨日ニュースでは、市民が避難するため駅に集まったところをミサイルで狙い撃ちするなどは残酷極まりない。

政治の最終的解決手段として戦争があるならば、人間が人間としてあるべき最低限の人間性を保持するために自らに課した「戦争法」「国際法」を守らなくてはならない。

ロシアのやっていることは、通常の戦争というよりも非人間性の象徴「国家テロ行為」そのものである。

ここまでありとあらゆる犯罪を行う国家が「スポーツと政治は別」とは、あまりにも空疎な言葉である。

国連の常任理事国として、「国際の平和及び安全を維持する」ことをリードしなければならない立場の国家に対し、世界の心情も許容することはできないであろう。

ロシアスポーツ界全体が、体を張って戦争反対を国家に対して訴えているのなら話は別だ。しかし、戦争の実態をも理解せず、ただ盲目にプーチンを支持する。スポーツだけは別だ、だから認めよと言うのは虫が良すぎるのではないか。

残念だが、自国が起こした戦略戦争の実像をまず理解することが先決ではないか。

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