ただ生きればいいのか
Vol.3-4.12-819 ただ生きればいいのか
2022.04.12
ウクライナへロシアが侵攻して1ヶ月をとうに超えた。犠牲者は増えるばかり、軍人だけではない、市民に子供、無差別に命が奪われいく。
ニュースのトップはコロナからウクライナ戦争に代わった。
毎日流れるウクライナの被害映像。泣き叫ぶ老女、昨日は学校、今日は病院とまるで、戦争ゲームのように破壊されて行く人と街。これを毎日のように見せられているといつの間にか感情がマヒしていく。口では「可哀そうに」と言いながらも、3年目に入ったコロナのように日常の風景になっていく中で醒めていく自分を戒めている。
ウクライナの人たちが瓦礫の前に立ち、泣き崩れる人もいる傍らで、もくもくと瓦礫の掃除をする人がいる。絶え間なく経験してきた戦争と抑圧、過去の歴史が彼らを強くしたのは間違いない。
「絶対にくじけない。絶対に負けない。」ゼレンスキー大統領を始め、国民の自由への希求と愛する国土防衛の強い思いに、今もまったく揺るぎはない。
この強靭な精神こそ「ただ、生きる」だけの人間ではないことを証明している。
松井孝治・慶応大教授は「ウクライナ降伏論への疑問」とした論考の中で、あるSNSの投稿とソクラテスの言葉を紹介している。
SNSでのある政治家の投稿だ
「大学生の娘と『一番守るべきものは何か』という話になった。娘は『それは命でしょ』即答。それならばウクライナはロシアに即時降伏するだろうし、国民が国に残って戦うことはない。彼らが独立と民主主義に命以上の価値をおいて戦っている姿から我々は目を背けてはいけないと思う」
この考え方は我が国では決してめずらしくはない。著名人も含めて少なからずウクライナの政治指導者に降伏を促す声がある。
ただ、同時に『命以上の価値』のために戦うウクライナの国民を否定できる人もいないだろう。
そして、降伏論がとりわけ日本に多いことの理由として、細谷雄一慶大教授の言葉を借り、このように解説している。
《「ウクライナが降伏すべき」というコメントが他国と比べて日本で出てきやすい理由は、平和、独立、自由という価値のうちで、日本は戦争で平和を喪失した経験はあるが、独立や自由を失った歴史的記憶がないからでは。多くの場合、独立や自由を失う悲劇は壮絶 》 とし、たしかに生命は大切だが、それはただ生きるということとは少し違うと述べている。
そしてソクラテスである。
「古代ギリシャの哲学者ソクラテスは、投獄され死刑執行を待つ身となったが、親友クリントンに脱獄を勧められると、大切なのは、ただ生きることではなく善く生きることである。善く生きることと、美しく生きること、正しくいきることとは、同じであると述べ、それを拒否する」
これを理解するのはかなり難しいことではある。
子供たちが学校で「生きる」ことを第一に教えられている。しかし、そのことを奨励するのであれば、「より善く生きる」ことへの視座も歴史観も示さなければならない。
そう言えば、「清く 正しく 美しく」というのは、宝塚歌劇の創始者である小林一三氏の遺訓であり、宝塚音楽学校の校訓でもある。小林はこのソクラテスと相通じる心情があったのかもしれない。
松井教授は、「過去の歴史には主君や藩の名誉のために自らやその子の命を投げ打つ精神、名誉な罪の意識と引き換えに生命を捧げんとする心意気、他者やより大きな帰属体のために身体を張って協働する価値観、こんな歴史観も示す必要がある。」とし
「命はかけがえのないものである。しかし、人間と他の動物との違いは、漫然と個体としての人生を本能や快楽の追求のままに生きるのではなく、過去の歴史を認識し、子孫や未来に思いを致して、それぞれが今より善く生きようとする点にこそある」という。
大学生の娘が『それは命でしょ』と即答する、日本の教育への疑問も呈し「個々の人生を生きるのみならず、歴史意識を持ちながら、時代を越えた志向を持ちうるような、そんな教育」の必要性にも言及した。
ジイは忠臣蔵の精神も、大東亜戦争で「日本のために」と散っていった多くの日本人の精神の在り方を、ただ、「命を粗末にして」と一刀両断にする今の世相に同意できない一人である。
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