一神教の怖さ

Vol.3-4.17-824    一神教の怖さ

2022.04.17

 

キリスト教の三大宗派といわれるのは、西方教会(ローマ・カトリック)、プロテスタント教会、東方教会(オーソドックス)がある。

東方正教会の中で最大勢力を誇る中心的教会が「ロシア正教会」である。

最大の信徒数を誇るロシア正教会のキリル総主教は「国家が困難なとき、神は国民が政権に寄り添い、団結して内外の敵を打ち倒す能力を授けてくださる」さらに「ウクライナによる親露派住民への迫害が続いてきた」と力説した、という。

プーチン大統領の代弁者のような説法をしていたのには驚いた。

しかし、驚くことなかれだ。産経新聞の記事によれば、露正教会はプーチン政権の統治システムと一体化しており、同性愛や自由主義に拒否感を示すなど、プーチン氏の保守的価値観を宗教面から下支えしてきたというではないか。

さらに、露正教会は伝統的に、人を殺傷する兵器を “ 祝福 ” し、2020年に国防省主導で建設された「ロシア軍事力大聖堂」で祈祷まで行っていたと言う。

まるで悪の新興宗教がプーチンとタッグを組んで、国民を洗脳、悪霊国家を建設したかのようである。

我々が考える宗教とはかなりかけ離れ、時の政府と一体化した精神的バックボーンの役割を露正教会は果たしてきたともいえる。

本来宗教とは「戦争、侵略、殺戮」などとは真逆の立場にあると考えるが、ロシア正教の場合は真逆そのものである。

思い出すのが、西暦1571年、信長の比叡山焼き討ちである。信長の蛮行は「仏法破滅」と書かれているように、大きな衝撃を各方面に与えた。

甲斐の戦国大名・武田信玄などは、信長の比叡山焼き討ちを激しく非難しているが、何故信長は比叡山焼き討ちにしたのかということだ、

1、比叡山の僧侶は信仰や修行を忘れ、肉食、飲酒、金儲け、女性との交わりに耽っていた。つまり、僧侶は宗教者としての本分を果たしていなかった。

2、当時、信長は朝倉義景、浅井長政と対立していたが、あろうことか比叡山は信長に歯向かって、朝倉・浅井両氏に味方した。信長はそのことがどうしても許せなかった。

など、諸説があるが、いずれにしても時の権力者に刃向えば何をされるか分からないということを物語るエピソードだ。

では、ロシア正教のキリル総主教はプーチンの残虐性に屈したのか、それともキリル総主教自身の悪霊精神に火がつき、宗教の名を借りた絶大な権力に陶酔していったのか、ドストエフスキー流に暴いてほしいものである。

それはさておき、他の教会がすべてがキリル総主教と同じ考えかといえばそうではない。

世界各国の正教会や露正教内部からも侵攻を批判する声がある。

ローマ教皇は繰り返し非難をしており「武器を置いて、復活祭の停戦に入るように」とロシア、ウクライナに呼びかけている。

ロシア正教の異常さは宗教が率先して、暴力に同意したことである。あの十字架に張り付けにされたキリスト像とはかけ離れた宗教が独裁者と共に世界をカオスの世界引きづり込んだのである。

過去には日本にも多くの宗教は入ってきた。しかしどの宗教に固執するということはなかった。道徳の基本を特定の宗教に置かず、世の中には八百万の神宿るとし、神道精神が基本にあった。山には山の神、水にも水の神ありし、朝日に手を合わせる穏やかで何事にも畏怖の念を抱く謙虚な人間の姿である。

江戸、明治には人生の道徳は武士道の如く「私」よりも「公」の中に誠を見出してきた。

日本では、相容れないと思われがちな神道と仏教、祈る対象が自然と人の違いである。仏教では人は死によって成仏する。灰と化した仏は土となって自然に還り神仏融合の成立である。

こんな国が世界のどこにあろう。故に日本人は宗教戦争の深層心理がなかなか理解できない。

ロシア正教を思うと、かつて日本を恐怖に陥れたオウム真理教の巨大版のように思ってしまう。キリスト教会が日本に入ってきたのは信長の時代であろうか。それから今日に至り、1.5%の信者がいる。いわゆる日本においては、心の拠り所として祈る対称の一つで、特別警戒する対称ではない。結婚式を教会で上げ、お正月には神社に参拝、お葬式はお寺で。外国から見れば何とも節操のない不思議な民族に見えるかもしれない。

しかし、世界には何という宗教にまつわる戦争・紛争の多いことか。一神教の怖さを改めて知る思いである。

    

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