エネルギー自由化のツケ
Vol.3-4.24-831 エネルギー自由化のツケ
2022.04.24
経済産業省は先月、東京電力と東北電力管内に「電力需給逼迫警報」を初めて発令した。記憶に新しい出来事というより事故に近い。
逼迫原因の一つに、①福島県沖地震の影響で発電が止まったことと、さらに ②想定外の寒さと ③悪天候による太陽光発電の供給量が大幅に減ったという、悪い条件が重なったことも確かにあった。しかしその程度で真冬でもあるまいし電気が逼迫するものか。東日本大震災以来でちょっと驚きであった。
「何が起こったの?」という感覚である。
しかし、冷静に考えてみれば電気の風景は昔とは全く違う。
平成28年に電力の小売りが完全自由化された。それまでは地域の電力会社が独占で電力を供給してきた。コストが上がれば電気料金に上乗せして回収できる「総括原価方式」も認められていた。
そのことで私たちは電力不足を心配することなく使い放題の環境で過ごしてきた。ところが電力が自由化されたことで、大手電力会社は新規参入の電力会社に約2割の顧客を奪われる結果となった。
この事態は公共でなく、私企業として費用対効果、つまり電気という公共性の高いエネルギーインフラへの責任と共に、厳しい利益追求が必要となったのである。
当然ながら、コストがかさむ老朽化した火力発電所の休廃止などや、製造工場の稼働率が7割が赤字分岐点のような視点をもっての経営が必要となったのである。
企業として当たり前のことであるが、今までは公共性の高さから安定供給が前提としてあった。しかし、完全なる私企業となったからには、当然利益を生まない設備の削減や、適正規模への見直しも必要になる。
いわゆる公共性と利益を天秤にかけたギリギリラインを追求する経営への転換である。
「電力需給逼迫警報」がニュースで流れた時も、盛んに供給予備率「プラスかマイナスか」という数字の報道があったが、一時的にブラックアウト寸前の “ マイナス ” になった時があった。
安定的に供給される供給予備率は最低限3%を必要とされるがそれを下回った。まさに東日本大震災以降、初めてのの非常事態であった。
ウクライナ戦争の影響で、スリランカは物価高騰と停電から国内暴動まで引き起こしたが、食料とエネルギーは国家の根幹である。
自由化は一つのあるべき方向ではあると思うが、大切な基盤であるからこそ、公共性を持たせ、安定供給を第一に考えてきたのである。しかし、いまさら後戻りはできない。資源エネルギー庁は国民と危機を共有するいい機会となった。
来年の冬はすでに供給予備率はマイナス予想が出ており確実に電力不足に陥る。かといって昔のように「使命感だけで投資はできない」、さらに石油による火力発電はCO2排出問題がからむ。
長期的展望に立てば、緊急時に他の電力会社から電力供給を受ける送電線の増設も不可欠だが、今は冬に向けた短期的対応が喫緊の課題だ。
幸いなるか今、日本の原発はほとんどが休止中または審査中である。当面は原子力の再稼働を考えるのが安定供給への道ではある。
日本原子力文化財団のサイトをみると
<原発の状況>(2020.11.6現在)
運転中・・・・9基
審査合格・・・6基
審査中・・・・8基
建設中・・・・1基
計画中・・・・6基
未申請・・・・8基
廃止炉・・・・23基
上記数字はサイトの表から拾ったので若干のズレはあるかもしれないがほぼ現況を示す。
物理的に全ての稼働で、当面は安定供給の目途はつく。しかし、稼働させるにはいくつものハードルを越えなくてはならない。何よりも、原発アレルギーがまだまだ根強い日本、原発に集中できる環境にはない。
エネルギーと食糧は人間の生きる基盤である。これを機に資源エヌルギー庁は、原子力、石油火力、LNG、石炭火力、再生可能エネルギーなどありとあらゆるエネルギーの問題点を洗い出し、長期的・安定的な視点を持って抜本的に見直す必要がある。
再生エネルギーも経験を積んできた、かなり問題点も浮き彫りになった。
例えば、太陽光発電の乱開発による災害問題、景観破壊、使用済み発電盤の大量廃棄問題、あるいは風力発電の騒音による人間への影響を含めた問題。及び原発の将来展望等々、外部圧力に屈することなくまずはエネルギーの現状をまずはすべてさらけ出すことだ。
その上で、日本のあるべき姿を創造し、世界を見渡し、かつ偏ったバイアスに影響されることなく、まずは専門家集団の知恵の集結による最も最適な電気供給案を作ることである。
この問題の妥協は将来に禍根を残す。
いまはやりの “ 持続性の高い ” 理想的かつ画期的な案を期待したい。
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