自由を愛する民族

世界,日本,雑記

Vol.3-5.18-855   自由を愛する民族

2022.05.18

“ 独立や自由を得るための通貨は血である ”

ジャーナリスト・ミコラ・ベレセニ氏のこの言葉は衝撃的である。

大国ロシアを前に、女性、子ども、愛する息子を次々に奪われても一歩も引かないのは、全てのウクライナ人の血にこの精神が脈々と息づいているからである。

1991年にソ連が崩壊してウクライナは独立を果たした。
しかし「自由は無償ではない。行く手には大きな問題が待ち受けている。とその時感じた。1991年に無償で得た対価を今、血で払っている」というのだ。

ウクライナノの長い歴史の中でウクライナ人が自由を得るにはいかに大変なことであったか、血をもって体験してきたからこそ言える言葉である。「逃げればいい」と言った日本人には永遠にこの言葉は理解できないであろう。

ソ連第二の構成国だったウクライナは1991年12月1日、独立を問う国民投票が行われ、賛成が90%を占めた。これが最後の一撃となり、ソ連は12月25日に消滅した。だが、ソ連末期のウクライナは「決して一直線でなく、慎重なものだった」という。

ソ連共産党のゴルバチョフ書記長が80年代後半に打ち出したペレストロイカの下でも「人々は民族主義や独立について語ることを恐れていた」というのだ。

当時、ウクライナの人はソ連の崩壊が信じられなかったのだ。モスクワを中心とする党の機構や治安機関がなお強固で、弾圧の危険もあった。

思いもしないソ連の崩壊、長い長いソ連からの弾圧の歴史を生きてきたウクライナの人たちにとって、血を流さず転がり込んできた「独立と自由」、当時のウクライナ人の戸惑う気持ちがわかるような気がする。

ソ連が崩壊しロシアもウクライナも急進的な市場経済化が進み経済・社会が大混乱し庶民は苦しんだ。ロシアではこの経験が人々に改革への嫌悪感を生み、プーチンの強権統治につながった。これに対し、ウクライナ人は「不満はあったが、前を向いた」この違いが、独裁・ロシアと自由民主主義・ウクライナに分かれたのである。

テレビを見ているとウクライナ人とロシア人は兄弟のような存在だと語るのを聞く。今も兄弟姉妹、親子が両国にまたがっている。兄弟国でありながら戦わざるを得ない。悲しい現実である。

プーチンはウクライナがEUやNATOと接近し、民主主義がロシアに流入することを警戒した。

「現在の形でロシアが残ればウクライナは死ぬ。だからウクライナ人はかくも全体的な抵抗を見せるのだ」

「遺伝子レベルで、精神の深い部分でウクライナは自由を愛する民族だ。ロシアが今日のようにあり続ける限り、私はウクライナとの共存の可能性を見ない」と強調した。

日本は日露戦争後、韓国を併合した。第二次世界大戦で日本が敗れ、併合が自然消滅し韓国は独立した。

人は植民地支配と言うが、搾取の対称としたわけではない。同じ日本として平等にインフラ投資もした。会社の合併のようなものである。確かに日本主導ですべてが進められたが、韓国はそれを植民地とし屈折感情を抱いた。

韓国も血を流して独立したかった。独立と自由はそれほど価値あるものなのだと実感する。

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