怪しい情報に気をつけろ!

Vol.3-5.21-858   怪しい情報に気をつけろ!

2022.05.21

“ 怪しい情報に惑わされない ” とのサブタイトルで、月刊誌・正論が特集を組んでる中で、評論家・潮匡人氏の『テレビを観るとバカになる』というコラムがあった。

「テレビを観るとバカになる」とはちょっと解説が必要だが、ニュースの解説者の説明をまともに信じ込む視聴者が多いことは疑いない事実である。「それって、ほんとうか?」見分けるのはかなり難しい。

よほど、専門家でもない限りほぼ「そうかな」と理解しながら聴いてしまうのが一般的視聴者ではないか。

最近よく使われる紛らわしい3つの言葉がある。
「集団安全保障」「集団的自衛権」「集団防衛」

◆「集団安全保障」とは、潜在的な敵国も含めた国際的な集団を構築し、不当に平和を破壊した国に対しては、その他の国々が集団で制裁するという国際安全保障体制の一種である。

◆「集団的自衛権」とは、ある国家が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利である。その本質は、直接に攻撃を受けている他国を援助し、これと共同で武力攻撃に対処するというところにある

上記2つの違いである。
集団的自衛権が攻撃を受けた後の反撃の手段であるのに対し、集団安全保障とは、「国同士で協力して武力攻撃が起こらないようにしよう」という武力紛争を未然に防ぐ考え方になる。従って、集団的自衛権が仲の良い国同士で同盟を組んで、外部の敵に対して対抗するものである一方で、集団安全保障は仲の良くない国も含め全ての国が体制に入り、その中で調整しようとするもの>

それでは
◆「集団防衛
」とは、特定の敵対国や脅威に対して複数の国家が共同で防衛にあたり、相互の平和と独立と地域的に安全保障を図る、2か国または複数国間の合意または協力の枠組みを指す。

それでは、よく似た「集団安全保障」と「集団防衛」の違いである。

<第一に集団防衛が敵対国とほぼ同等の防衛力で勢力均衡を維持し、相互に武力攻撃できない状態を作ることで安全保障を確保するのに対して集団安全保障は圧倒的優位により、平和破壊活動を抑止・制裁するという点が挙げられる。>

そこで、潮氏は4月7日に放送されたNHK「ニュースウオッチ9」を解説した。

NATOをめぐり集団安全保障の話であった。
掲げられたヨーロッパの地図上に

「『NATO 30ヵ国が加盟』『集団安全保障』
ある加盟国に攻撃の場合 同盟全体への攻撃とみなし 攻撃された国を援助」

と大書したパネルが掲げられていた。

女性MCがため息をつきながら
「この集団安全保障、場合によっては戦争に巻き込まれるリスクが高まる両刃の剣だということで議論が起きているんですね」と総括。
男性MCが「そうですね」と肯く。、、、という放送内容であった。

ここでの違いは、NATOを「集団安全保障」と言っていることだ。

もちろん外務省もNATOを「集団安全保障」とは言わない。NATOは「同盟」なので、「集団的自衛権」ということになる。

この間違いはNHKに限ったことではないが、この戦争報道、NHKは中立を意識しているのであろうかと疑問を呈し、
「NHKの国際報道番組は最近、ウクライナ公共放送を流す際、画面下に「ウクライナ公共放送がどう報じているかをお伝えしています」と、ロシアTVにも同様のテロップを被せて放送している。

そもそも善と悪が戦っているときに、中立的な姿勢に終始することが正しのか。いわんや、この期に及んでロシアを擁護する連中までいる。

最近は「100%の善も、100%の悪も存在しない」と訳知り顔でつぶやく連中も増えた。なるほど “ 盗っ人にも三分の理 ” はあろう。だが、そんな論法が通用するなら、死刑はもとより、あらゆる刑罰、あらゆる裁判、あらゆる逮捕が正当性を失う。」と潮氏はいう。

モノを見る、理解することはかなり難しことだ。潮氏はある映画の中のこんなセリフを紹介している。

「君がガキで何も理解してないってことだ。・・・君の美術観は本から得たものだ。ミケランジェロの知識はある。彼の生活や政治性、すべての作品名を言える。だが礼拝堂の匂いは言えまい。・・・・・」(グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち)

もうひとつ、伊藤亜沙著『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)だ。
「普通に考えると、見える人の方が『見通す』ことができるので、遠くまで空間を捉えていそうです。・・・しかし、そのことによってかえって『道』にしばられてしまう。だからかえって見えない人の方が、目を見通すことのできる範囲を越えて、大きく空間をとらえることができる。視野を持たないゆえに視野がせまくならない」

この2つの事例は、知った気になって本質を見誤ることを戒めている。物事にとらわれてはいけない。常にニュートラルな自分でいることはかなり難しいことだ。

人は自分の生きた人生に関わった人、読んだ本、耳と目で集めた情報の中で捉われない自分を表現することは至難の業だ。

ただ、テレビは公器だ、言葉を意図的に曲解する報道は規制が必要ではないか。

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Posted by 秀木石