映画さながらの銃撃戦

世界,日本,雑記

Vol.3-5.28-865    映画さながらの銃撃戦

2022.05.28

米南部テキサス州ユバルディのロブ小学校で、映画さながらの銃撃戦が繰り広げられ、児童19人と教師2人を含む21が死亡する事件が起きた。

容疑者・サルバドール・ラモスは18歳である。

まだ大人になったばかりの男が殺傷能力の高いAR15型の半自動ライフル銃を2丁と銃弾375発を購入していた。このうち1丁が事件で使われ、犯行時は100発以上を発射したとみられる。

まさにアクション映画さながらの “ 銃撃戦 ” を演じたのである。

18歳の高校生が「半自動ライフル銃を2丁と銃弾375発を購入」これだけでも事件の匂いがする。それがいとも簡単に購入できるアメリカとは、、、

近年、一般市民が銃によって命を落とす数は、毎年1万人以上。2017年には、半世紀で最多、4万人近くの人が銃で亡くなった。実に1日109人が銃で命を落としている。

治安がいいの悪いのという次元を超えている。

アメリカの銃乱射事件。忘れたころにやってくるのではない。毎日どこかで誰かが銃で撃たれて死んでいる、1日109人とは日本に置き換えれば内乱規模である。

バイデン大統領はアジア歴訪から帰国するなりこの事件と向き合うことになった。

「いったいいつになったら我々は、銃ロビーに立ち向かうのか。もう、うんざりだ。自分たちがこの殺戮に何もできないなど、言わないでほしい」

「18歳の子供が店に入って、アサルトウェポン(殺傷力の高い攻撃用銃器)を2丁買うことができるなど、ひたすら間違っている」

「こんな乱射事件は、世界のほかの場所ではめったに起きない」

「なぜ我々はこの殺戮を受け入れているのか。どうして同じことが繰り返されるのを、我々は許しているのか。いったい我々の気骨はどこにあるのか」とバイデン氏は述べ、「いい加減、行動するべき時だ。できることはもっとある。もっと対策をとらなくてはならない」と強く発言。

同州選出のクリス・マーフィー上院議員(民主党)は今回の事件を受けて、連邦議会上院で演説し、「いったい我々は何をしているんだ」と同僚議員に強い調子で呼びかけた。

「我々は何のためにここにいるんだ。存亡の危機にかかわるこれほどの問題を解決するために、ここにいるのでないなら。この事態は、避けがたいものではない」と述べ、銃規制の強化に協力するよう「文字通り懇願する」と訴えた。

「この子供たちは運が悪かったわけじゃない。このようなことは、この国でしかおきない。小さい子供たちが、今日学校で撃たれるかもしれないと思いながら学校に行くなど、この国だけだ。しかもそれを、私たちは選んでそうさせている」と強調した。

2人の発言は当たり前のように思うがアメリカ社会はそう簡単ではない。日本とは違うアメリカならではの歴史を持っている。日本の “ ハラキリ ” が理解できないように日本人はアメリカ銃社会を簡単には理解できない。

米教育専門紙EdWeekによると、
「アメリカでは昨年26件、学校乱射事件が起きている。小学校から高校まで、アメリカでは銃撃事件に備えた避難訓練が、教育課程の一環に組み込まれている。」とは驚きだが、学校だけで26件とは想像を絶する。

ここまで事件が日常化している。であれば銃規制に立ち上がると思いきや、『銃撃事件を前提の避難訓練』とは、何とも理解しがたいアメリカの現実がある。

アメリカにある銃は3億丁、一人1丁以上ある。全家庭が保身のために保持していると思いきや、40%強にとどまっている。

思い出すのは当時高校2年生だった服部剛丈くん、ハロウィンパーティーに出掛け、友達の家を間違え「パーティーに来たんです」と説明しながら車庫の中に入り勝手口に近づいた。この行為から家主のフリーズを「プリーズ」と聞き間違え撃たれた事件がある。加害者は無罪だった。

この時、改めて頭だけで理解していたアメリカの銃社会を現実として実感した。

何故、銃規制ができない。
米国の歴史で、民兵の活躍で独立戦争を勝ち抜いた歴史から「武器保有権」が憲法で認められたことがある。また、多くのアメリカ人は、銃規制強化によって銃犯罪が減少するとは思っていないという現実である。

それを裏付ける調査がある。
『ワシントン・ポスト』とABCの共同世論調査(2021年6月30日)によれば、銃規制強化で銃犯罪が減少するという回答は46%に過ぎない。過半数を超える53%は、銃規制には銃犯罪を減らす効果はないと回答。では何が銃犯罪を減らす効果的な対策かという問いに対して、75%の人が「貧困層の経済的な支援」と答えている。

ライフル協会など規制反対派のロビー活動も活発で、新たな銃規制強化は簡単な道のりではない。

まずは、憲法改正が必要になる。

憲法によって、国民は “ 国家の自由 ” さらに “ 個人の自由 ” を守るために銃を保有する権利が保障されている。

従って、アメリカで銃の保有や携帯を禁止するにはまず憲法を改正しなければならない。だが憲法修正は容易なことでは実現しない。憲法修正の発議は議会の両院で3分の2の賛成を得て行われ、50州の3分の2が批准する必要がある。その壁は、あまりにも厚い。規制を巡る問題で、アメリカ社会は分裂しており、銃廃絶を求める修正案が可決される可能性はゼロと言っても過言ではない。

銃犯罪が増え、多くの犠牲者を出したとしても、銃保有の禁止を議論するのは非現実的であり、銃保有規制を議論するほうが生産的である。これが、銃廃止論が出てこない理由のひとつだという。

もう一つ根本的な問題がある。ジイはよくハリウッド映画を見るが、サスペンスやアクション映画によく出てくるのが警察官の腐敗である。悪の根源が警察官であることがよく描かれる。極普通に事実として存在する問題だ。

つまり、アメリカ国民の間には警察や司法、政治に対する根強い不信感が存在し、だからこそ「自分自身で犯罪から身を守らなければならない」と考えるのである。無断で庭に侵入した人物に対して警告もなく銃を発射することは、自分を守る権利なのである。そうした行為が罪に問われることはない。銃を保有することは、権利であり、それを規制することは個人の自由を侵害することになる。

銃規制問題は、アメリカの歴史と社会構造に根差した問題なのである。

日本人が考えるほどアメリカの銃社会はそう簡単に変わらない。

アメリカでは「自宅に銃を置いている」が44%である。一部の州では公然と外で銃を携帯することが認められている。まるで西部劇のカーボーイのように、 “ open carry ” といい、ガン・ベルトなどで他の人に見えるように銃を携帯することは、44州で法的に許可されているというではないか。

もう言葉がない。茶化すわけではないが、日々スリルとサスペンス、実にアメリカらしい。

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