ある犯罪者の出所

Vol.3-5.30-867    ある犯罪者の出所

2022.05.30

「世界革命によって既存秩序を転覆し共産主義社会の実現をめざす国際テロ組織『日本赤軍』の最高指導者を務めた重信房子氏が28日、懲役20年の刑期満了を迎え、出所した。事前にこれを伝えるメディア報道には、奇妙な期待や興奮が滲み出ていた。」(産経コラム・飯山陽)

イスラム思想研究者・飯山陽(あかり)氏のコラムは、出所の異様性をとらえていて面白い。

「共同通信は今月14日の記事で28日の刑期満了の予定を報じたが、重信氏について『常人離れした人心掌握術から “魔女” とも称された』と述べ、彼女の社会運動への復帰を望む支援者もいると伝えた。」

「毎日新聞は16日夕刊の『重信受刑者が歌集刊行 刑期満了に合わせ』という記事で、日本赤軍について、『1970年代に中東などで“武装闘争”を繰り返した』と説明した。」

「毎日や共同通信にとって日本赤軍の引き起こした数々の事件は、テロではなく『武装闘争』なのだ。」

「歌人の加藤英彦氏は3月7日、毎日新聞朝刊で重信氏について『新しい秩序を創ろう』として『闘いに敗れた』人であり、『それでも熱く変革を願う精神に私はある凛冽さすれ感じる』と評価した。

「日本赤軍の蛮行を知らず今の社会を変えようとする正義感に燃えるナイーブな若者にとって、重信氏の出所は『行動』を惹起するものでなりかねない。革命という崇高な目的のためには犠牲もやむなしなどという独善的論理で無差別テロを正当化するイデオロギーを、この日本で再び蔓延らせるようなことはあってはならない。

以上一部を紹介した。

あるユーチューバーが「変態・毎日新聞」と表現していたがまさしくぴったり、毎日新聞は革命支援団体なのであろうか。重信房子の出所に合わせ話題作りをし「歌集刊行」を同時に発表するという用意周到に準備された出版支援のようにも見える。

日本赤軍のこれまでの足跡である
◇1969年・・・赤軍派結成
◇1970年・・・日本赤軍結成
◇1972年・・・イスラエル・テルアビブのロッド空港銃乱射事件、約100人死傷
◇1973年・・・日航ジャンボ機乗っ取り
◇1974年・・・①シンガポール製油所襲撃事件 ②オランダ・ハーグでフランス大使館占拠
◇1975年・・・マレーシア・クアラルンプールで米大使館占拠。日本の受刑者5人を釈放
◇1977年・・・バングラデシュ・ダッカで日航機をハイジャック。日本の受刑者6人を釈放、6000万ドルを奪う。
◇2000年・・・大阪府警が逮捕

上記のように事件が起きるたびに、怒りとともに日本人として申し訳なくいたたまれない気持ちになった。

革命、闘争、「新しい秩序を創ろう」として“闘いに敗れた???”バカもほどほどにしてもらいたい。これらの事件のどこに《革命・闘争》という崇高な目的があるのか。自由・解放を迫る熱情を想起できる事件があったとでもいうのか。

学生時代に、革命や闘争といえば、抑圧から民族を解放しようと言うような崇高な?夢を抱いた多くの若者がいた。彼らは一時の熱病のようなもので、次第に醒めゆき自分のバカさ加減に気づいて正気に戻る。

しかし、革命闘争という宗教に陶酔しきった人間が、血の滾るままに「革命闘争」という麻薬を手にした時、舞い上がった自分を押さえるのは不可能に近い、すでに後戻り出来ない状態だったのであろう。

テロ活動に疲れ切った重信房子は、日本が恋しくなりある意味逮捕を望んで帰って来たのではないか。

逮捕後もイメージを崩してはならぬと “ 革命の闘士 ” らしく手錠のかかった手を振って気丈に振る舞った。突っ張るよりなかったのだ。

獄中で、4回に及ぶ癌の手術を受けたと言う。革命闘士なら手術を拒否し「死ぬときは死ぬ、天命に逆らうべからず」といって、癌と壮絶な闘いを見せる中、獄中死でもすればカリスマを維持できたかもしれぬ。しかし「まだ生きたい」とは情けない闘士である。

獄中で9000首の短歌を詠んだと言う。20年も入って入ればその程度のことはやらねば「武装闘士」の名前が泣くと言うものだ。

自筆の挨拶文も発表されたが、書面を見る限り知性もカリスマ性も感じられなかった。20年という十分な時間があったはずだ。短歌と同時に膨大な読書もし、できれば書も勉強してほしかった。

タダの犯罪者が、多くの?支援者から “ 女闘士 ” と祭り上げられ、その言葉にすがりつき、崩れそうになる自分を支えてきたのではないか。

2013年に獄中から支援者に声明を出し「日本人民は武装闘争を望んでいない」として日本赤軍の解散宣言を出した。端から日本人民は革命など望んでいない。自己陶酔者の「勝手な思い込み」である。あるいはそうであるべきだと思うことによって自己を正当化し消え入りそうな情熱を奮い立たせていたのであろう。

一般の犯罪者と違って、多くの声なき声の代弁者であるとの思い込みがあった。本人は、まるでフランス革命のような革命気取りであったのかもしれない。

革命闘士に祭り上げることによって犯罪を闘争に変えた共同通信に毎日新聞、はたまた歌人の加藤氏は「凛冽」という難しい言葉を使って彼女を評す。彼らのどの行動や行為をもって革命家と言うのであろうか。

彼女が事件を起こした昭和40年代は皆が高度成長の中で平和と幸せを満喫していた時代である。それを変えようとするならそれこそ国家の逆賊である。

思想と言えば聞こえはいいが、エネルギーのはけ口を暴力で発散したがる時期がある。特に多感な学生時代、思想という上着を着ることにより自己を肥大化しはけ口として過激な行動に出る。

今、たまに孫を預かることがあるが、もてあますエネルギーを発散すべく訳もなくキンキン声で暴れ出したりする。ルールがあっても無理やりルールを無視し思いっきりボールを蹴ったり投げつけたりする。その大人版が重信のやった革命である。

法律の下での出所はいい、しかし「新しい重信房子です」などと世間の前に現れてほしくない。出家して人里離れた禅寺にでも入って人知れず己を見つめ直す人生こそ彼女に与えられた道ではないか。

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Posted by 秀木石