念仏型平和主義

世界,日本,雑記

Vol.3-7.5-903   念仏型平和主義

2022.07.05

『コメントは差し控える』・・・(松野博一官房長官)

『現地の状況を調査するすべがなく、客観的に事実だと証明するのが難しい』・・・(政府高官)

傍観者とは楽なものである。関わりたくないものは積極的に動かなければいいのだ。言葉を差し控え、調査するすべがないと言えばそれで済む。何と楽な商売であろうか。

かの、悪名高い「児童相談所」と同じである。

欧米諸国は、中国政府のウイグル人に対する扱いを「ジェノサイド」と非難している。今回、中国新疆ウイグル自治区の公安当局からウイグル人らの強制収容に関する内部資料『新疆公安ファイル』が流出し、その実態が明らかにされたにもかかわらず、政府は知らぬ顔を貫く。

日ごろ、自由、平和、人権を高らかに謳いあげる日本政府、実態が明らかになると、人権よりも我が “ 懐具合 ” が優先する。「毅然として」「人権」「平和」「自由」などという言葉はもう使わない方がいい。

顔の見える日本になるのはそう簡単ではない。日本外交の基本を世界に発信するには、「危機」に、あるいは「事件」にどう立ち向かうかである。

命が何よりも大事? 経済が最優先か? ブレにブレて最後は「コメント控える」「事実を調査するすべがない」で逃げる。

ロシアにはちょっと “ 毅然 ” を見せた。結果として「石油・天然ガス開発事業《サハリン2》」で報復を受けた。

ロシアならこの程度で済むとの読みと、世界中の批判を浴びるロシアの横暴には当然だという国内世論も醸成されている。少々のことがあっても政府批判にはつながらない。と見ての毅然であろう。

しかし、中国は違う。日本との経済関係はロシアの比ではない。腰が引ける根本的理由は “ 金 ” である。

今回、流出した『新疆公安ファイル』の中に、日本在住を切り上げ2019年に自治区に戻った後、収容され翌年死亡した自治区カシュガル出身のミヒライ・エリキンさんの記録もあった。

この女性・ミヒライ・エリキンさん。中国の上海交通大を卒業し2014年9月に来日。東大大学院の修士課程を2016年9月に修了し、研究者として関西の大学に在籍していた。

問題の『新疆公安ファイル』にはミヒライさんの中国名や住所、身分証の番号などがあった。その記録である。
《当局の対応指針》に
・「未収押」(収容されていない)
・「出境未帰」(国外にいて中国に帰ってきていない)
・「防回流」(帰国したら再出国を防ぐ)

と記されていた。恐ろしいではないか、自治区にいた人間すべて、世界のどこにいようがすべて網羅、常にウオッチングされているのである。帰国すればすべてが終わる。

2017年頃から収容政策は強化された。
ミヒライさんのもとに父親と複数の親族が収容されたとの情報が入った。ミヒライさんは当時、教育者を志し、在日ウイグル人の子供に英語やウイグル語を教えていたが、父親の身を案じ、悩んだ末に2019年6月、周囲の説得を振り切り中国に戻った。

危険を承知の上とはいえ、戻ったとたんに中国当局に拘束、2020年末死亡が確認された。30歳だった。

中国にとっては当たり前のシナリオである。

月刊・正論には2022年3月号から評論家・三浦小太郎氏がウイグル・チベットなど中国の人権弾圧を在日のウイグル人から直に聞き取りながらシリーズで告発し続けている。数々の弾圧の実態が、今回の内部資料の流出で事実であると証明された。

この期に及んで『知らぬ存ぜぬ』を決め込む日本政府。人権外交、平和外交の二文字は捨て去った方がいい。

G7で「人権侵害の制裁法」を持たないのは日本だけである。制裁法をつくれば制裁しなければならない。日本は人権を大事にしますが、「制裁法がない」からとの逃げ口上が通用しなくなる。

のらりくらり、先の国会では “ 対中人権決議 ” は採択されないまま6月15日に閉会した。政府はほっと胸を撫でおろしたことだろう。

何という情けない、「平和日本」であろう。

今も多くの日本在住ウイグル人が平和な日本で、平和を希求する日本政府に希望を抱いている。

それを見て、見ぬふり、「どうか中国様、人権侵害やめてくれませんか?日本としてできる限りのことはさせていただきますから」と心の中で手を合わせ念仏を唱えるだけである。

暴力ではない、『自由・平和・人権』において主張することに何のためらいがいるのか。

外国の外国人の話ではない。日本で真面目に勉強し、研究者として日本の大学に在籍していた外国人が突如この世から消えた、その事情を中国に詳細な報告を求めるのに何をためらう。

「対話と協力」を基本に相手に改善を促すのが日本外交の基本だそうだが、それすらしていない、「念仏」だけに終わっている。

何かと言えば平和・人権を唱える。実行の伴わない平和主義もないよりはましである。平和な日本、制約は数あるだろう。しかし、日本の中での日本人だけの話で終わらせていいのか。

いずれ「日本の日本だけの特殊な平和主義」が世界に定着するだろう。そう遠くない日に。

ブログランキング・にほんブログ村へ