高温ガス炉

日本,雑記

Vol.1.4.2-100 高温ガス炉
2020.04.23

今年の1月、広島高裁は四国電力・伊方原発の運転停止を命じた。

理由は火山リスクについて「破局的噴火に至らない程度も考慮すべきだ」として完全な「ゼロリスク」を求めた。
約9万年前に起きた大規模噴火を持ち出して「原発の立地に適していない」としたのだ。地震国日本にとって火山もそうだが、リスクゼロはありえない。ということは日本において原発はできないという結論になる。

司法は、寿命が来た原発は停止させ、再稼働はさせず、当然新規原発は許可せず、国の方針とは別に原発を失くすという結論ありきで動いていることは明らかだ。

原発に対する風当たりは強いばかりで弱くなる気配はない。
野党はオール原発反対、小泉純一郎元首相、宮崎駿監督 瀬戸内寂聴、山本太郎、渡辺謙、坂本龍一、橋下徹、吉永小百合、大江健三郎、村上春樹等有名人の多くも原発反対を唱える。
この人たちに共通するのは「戦争反対」を合唱し、平和を唱え、中国側に軸足を置き、弾圧・粛清・迫害によって何千万人もの虐殺には一切関知しないところだろう。
言わずもがな国民の多くも原発に反対であっても賛成する人はいない八方塞がりの状態にある。

福島原発が津波被害にあってから、原発は悪の根源の如く忌み嫌われてきた。
平和で事故もなく今日を迎えているとすればこれほど嫌われることもなかったであろう。
振り返って見ればCO2を出さないコストの安いクリーンエネルギーとして経済をけん引してきたのは原発エネルギーだった。プルサーマルという使用済み燃料を再加工して使える夢まで語った原子炉が今では、ほとんどを廃棄、廃止に追い込まれる悪の権化のような目で見られる存在になってしまった。

今までお世話になった感謝など露ほどもない。福島原発はジイは事故ではなく津波災害と考えるが、あの大震災以降、手のひらを返すように悪魔呼ばわりされるようになった。
原発=原爆というイメージから原発=核兵器=広島という連鎖が大いに関係していると思われる。

原発推進派というより、原発維持派は何を根拠としているのか、諸手を上げて原発を推進しているわけではない。
福島の事故を考えれば、できれば原発に代わるエネルギーがあればいいとは考える。
反対派と違うのは、「原発事故」即、原発廃止という短絡的考えで全国の原発を全て廃止という無茶を平気で言う人人々とは一線を画している。

何も問題ない原発までも今すぐ停止しろと言う極端な動きに警鐘を鳴らしているにすぎない。
日本経済は原発の安い(化石燃料の1/3)エネルギーによって経済を発展させてきた、昨日までありがとうと言っていたのが今日になれば、悪人扱いという理性のなさにはポピュリズム以外の何物でもない。

原発を廃止、自然エネルギーに変えられるのであれば誰も反対などするはずがない。
しかし、国民は①エネルギーコスト(個人負担)が3倍に上がること。すなわち電気料金が3倍になること、それだけではない、製造業の製造コストが上がる分、物価に反映されるということは全ての物品が上がる。石油需要が高まれば、ガソリン、石油製品に止まらず、今あるすべてが30%上がると言うことを国民が理解しなければならない。
オイル価格の変動でガソリンが30円上がったと言って買い控える国民が、果たし3割以上の値上げに耐えられるのだろうか。

そのことを受け入れる覚悟をして原発反対なら理解できる。ただ放射能が恐いからという情緒だけの反対であれば反対派の扇動詐欺のようなものである。
ジイは思う。人類はいろんなものを発明し、生活を豊かにしてきた。石器時代は石、そのうちに鉄ができ刃物ができた。刃物ができて人殺しに利用する輩も出てきた。原子力というとてつもないエネルギーを開発した。
安全であれば、燃やした燃料を再処理して再度燃料として再利用するプルサーマルという技術も開発した。

もし、事故がなければ現時点では最強のエネルギー資源である。この人類の歴史を思う時、何かのアクシデントにはどうすればと良いかと真摯に向き合い、安全なエネルギーに変えることはできないか?と言って知恵を絞って研究開発してきたのが人類だ。。
危なからやめようではなんの発展性もないではないか。

原発と聞けば反対という人。ジイはあまりにも短絡的人間としか思えない。
国民の多くが、福島原発の苦しみを今尚引きづっている現状を考えると、原発反対を口にすることが福島市民はもちろんのこと全国民を安心させる力はある。
逆に原発維持を唱えただけで徹底してネット上で叩かれる。
原発反対だけを唱えるほど楽なことはない。その理由は「危ないから」の一言でよく、多くの賛同が約されている。
維持派はその理由を述べようと思えば、説得するための膨大な理由と多くの攻撃から身を守らなくてはならない。相当な覚悟が必要である。人気商売人は決して原発維持など口にすら出来ない。

ただ、反対を叫ぶのであれば、反対を叫ぶように自然エネルギーの推進者とならなくてはならない。その際にはマイナス面もハッキリ説明し積極的な旗振り役にならなくては片手落ちだ。いい放しではだめだ。
反対を叫ぶ人が、今も自然エネルギーを積極的にアピールしているかと言えばその姿を寡聞にして知らない。

何故、自然エネルギーが増えないか。その実態を報道するメディアもない。その時の情緒に流された無責任な反対派が実に多いことだ。
B 電源として不安定だから
C 大規模な自然破壊
D 災害に弱く壊れやすい
E コストがかさむ

このような実態がある限り、今ある原発を安全に使いましょう。これから徐々に自然エヌルギーに極力変えていきましょう。というのが理性ある考えではないのか。

原発維持する理由のもう一つある。
世界の勢力図は、悲しいかな軍事バランスが大きなウエイトを占める。自ずと、原爆保持である。あれほど、イラン・北朝鮮が固執する原爆、この兵器の保有が国力及び発言権を維持する重要なアイテムであることは紛れもない事実だ。
日本は核兵器を持つことはないが、北朝鮮、中国のような核保有国と対峙する中、核の技術を維持することは牽制する意味においても重要なことである。
どこが攻めて来るの?とかつて都知事選に出たT氏の発言には耳を疑ったが、まるで中学生程度の国際感覚だ、もちろん原発反対だった。

福島原発を津波による災害ではなく、何の疑いもなく「事故」だと断定した。
確かに、津波を予測して最大限の防災、例えば防潮堤を頑丈で高いものにしておくなどの対策を怠ったとすれば、人災とも言えなくもない。しかし、現実に起きた問題は津波災害に見舞われたのである。

そこで原発維持派というか国家にとっての朗報と言える情報がある。

極めて安全性の高い原子炉「高温ガス炉」だ。
反対派は、「なんだ原子力か」ということになるのだろうが、
現状1kWhあたりのの発電コストは石化燃料の1/6約4円だ。

その特徴は極めて高い安全性にある。
<炉心溶融しにくい>
構造上、単位体積あたりの発熱量が軽水炉の数十分の1と小さい上、黒鉛に仁丹のような粒状燃料を分散させた炉心構造のため、燃料表面積が大きく放熱がよいことから冷却が容易である。
<暴走しにくい>
黒鉛は温度上昇により中性子の吸収能が高まる。このため、制御棒が刺さらない事故がおきても、温度上昇に伴って黒鉛による中性子吸収が増えて核分裂が抑制され、一定温度で安定化するので暴走しにくい。
<爆発性がない>
冷却に水を必要としないため、水素爆発や水蒸気爆発は起こらない。
<腐食性がない>
ヘリウムには腐食性がないため、熱交換器や原子炉容器に耐食材を使う必要がないので初期故障の懸念も少ない。
<メンテナンス性がよい>
ヘリウムは鉛や溶融塩と異なり透明なため原子炉内部が目視でき、トラブル時にも対応が容易である。
<放射化の影響が小さい>
単位体積あたりの核分裂量が軽水炉の数十分の1であり、放射される中性子が少ないため、炉体と建屋の中性子遮蔽は軽水炉よりも簡素で済む。
<使用済み核燃料が少ない>
<発電単価が安い>
高温ガス炉約4.1円/kWh(石油30.6〜43.4円。太陽光発電が約30円、従来の原子力の10.1円)

このように、炉心溶融しにくいため、プルトニウム富化度を高めた燃料が使用可能であり、熱効率のよさも相まって、使用済み核燃料は発電量あたり1/5となる。使用済み核燃料の保管・管理コストも低減できる。

現在の軽水炉原発に代わるものとして、将来自然エネルギーに移行するにしても当面はこのエネルギーを利用すべきと考える。

中国が猛烈な勢いで開発を進めている。早く開発した方が、世界標準となりマーケットを制する可能性が高い。
安全性が高いということが何より国民に受け入れやすいという面がある。しかし、原発アレルギーは相当深い。
瞬間的に拒否反応を示す国民の意識を変えるのは大変だろう。
正しく<戦争=悪=反対>と刷り込まれた人間のように、<原発=悪=原爆>が刻印された人間を説得するのは並大抵ではない。

技術の光は輝いているが、先は決して明るくない。
ジイはジイの良心に忠実にこの技術を応援したい。

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Posted by 秀木石