ウクライナ もう一つの戦場

世界,日本,雑記

Vol.3-8.3-932   ウクライナ もう一つの戦場

2022.08.03

ロシアによるウクライナ侵攻は5カ月を過ぎた今も先行きは見えない。

大阪赤十字病院の薬剤師が2ヵ月間現地に派遣され、負傷者ではなく、戦争で故郷を追われた避難民で、高血圧や慢性疾患を抱えた人たちの診療にあたった。

大阪赤十字病院の仲里さんは「避難してきた人たちの命と健康を守りたい」と、ウクライナ西部のウジホロドに向かった。

彼らは、激戦が続くウクライナ東部から非難してきた人たちのための仮設診療所の設置や、医薬品の調達・管理などを担った。ウジホロドで戦闘が行われているわけではないが、1日に1回は空襲警報が鳴り、防空壕に非難するという。

頑丈な宿舎にいても窓ガラスからなるべく離れたり、警報後に大きな音が聞こえるとミサイルではないかと驚いて部屋の奥に逃げ込むこともある。そんな生活を送っていると、毎日数時間で目が覚めてしまうそうだ。経験して初めて知る厳しい現実である。

我々は、毎日悲惨な戦闘現場をテレビで見ている。それも瞬間映像だけだ。日々その場で生活する人の危機感を肌感覚で実感することは難しい。テレビ映像が切り替わったとたん跡形なく消える。

しかし、現場に入るということは凄いことだ。ハイチの地震やバングラデシュでの難民支援など、海外経験を積む仲里さんですら、戦地への派遣は驚きの連続だったと語る。

仲里さんが対応したのは、慢性疾患などを抱えながらも逃げてきた、日常を奪われた避難民だ。

いきなり「だっこして」、と子供がねだってきた姿が忘れられないと言う。戦場である。いちいち詳しい事情を聞いている暇などない。ただ、心で「今まで通っていた幼稚園や保育園から離れ、父親とも離れてしまっているのかもしれない」と瞬時に感じとり、できることをしてあげたいという思いが一層強くなった。という。

仮説診療所の設営のため一緒に働いていた男性は元銀行員だった。彼は、激しい戦闘があった東部ドネツクを逃れ、慣れない大工仕事で生計をつないでいると言った。いつ帰れるかもわからない不安の中の生活である。

帰国後の記者会見で、仲里さんは、「私は期間が決まっている中での活動だったが、非難している人にとっては先が見えない状況だ」。地元に帰りたいと切望する多くの人々の姿が、脳裏を離れない。と語った。

この話を聞いて、ジイは42年前のあるコラム記事を思い出した。

◆貧しい発展途上国の民衆の中にとび込んでいく「青年海外協力隊」の話である。
土木工事の指導のためアフリカのガーナに行った上野勝美さんはこう書いている。

「現地にいると、日本のセブンスターやビール、ちゃんこ鍋がたまらなくなつかしくなる。そう思いながら、自分が情けなくなる。前向きのように装ってはいても、顔は日本を向いている。タバコがなくても、何がなくても、断水でシャワーも浴びず、臭い服を着ていても、“ どうせ730日(2年間)ですむことだ。俺には日本がある ” と開き直れる。つまり傍観者にすぎない」と。

「ガーナの生活は厳しい。が俺には(日本という)飛べる所が残されている。ガーナ人にはここしかない。ここしかないが、彼らは決して悲観的でもないし、深刻でもない。俺は飛べる所があるくせに、彼らよりも多く不満も言うし、腹も立てる。・・・」

ウクライナ避難民とガーナと置かれた環境に大きな違いはあるが、支援する側は同じように期間限定である。共にいつかは日本に帰れる。しかし現地の人はそこから逃げることはできない。「地元に帰りたいと切望する姿が脳裏から離れない」との仲里さんの述懐こそ現場の真実だ。

武器を始め多くの支援はあっても、圧倒的軍事力の差は歴然である。しかし、大統領の決して諦めない戦闘姿勢に、誰一人批判的な声を聞かない。“ 国家のために戦う ” という一致団結の姿に敬意を表し、戦争の早期終結を祈るだけである。

時間が経つに従い、被害の大きさに鑑み、ゼレンスキーの強行をやおら非難する人が出るものだ、しかし判断を下すのは大統領の下、共に戦うウクライナ国民である。外部がとやかく言う問題ではない。被害者は侵略を受けたウクライナである。

それにしても、あの強い国家愛、精神力はどこから来るのか。

今はただ、戦況を見守りできる支援をし早期終結を祈るしかない。せめて日本に避難してきた避難民が、つかの間であっても、やすらぎの場として感じてくれればこの上ない喜びである。

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