戦争の月となった8月

世界,日本,雑記

Vol.3-8.11-940   戦争の月となった8月

2022.08.11

日本の場合、8月はどうしても戦争に焦点が当てられる。

8月15日の終戦の記憶はあまりにも鮮烈で衝撃だった。
必ずやニュースで流れるのが、天皇陛下の玉音放送に正座して耳を傾ける国民の姿である。戦争の実体験のないジイでも、当時の日本と日本人の姿を如実に物語っていると感じる。

あの、日本人の姿をみて中国や北朝鮮の全体主義を思い浮かべることはない。その精神や全く異なるものである。

戦後、GHQの占領下にあった日本で、天皇陛下は全国を巡幸された。マッカーサーは天皇の身の危険を考えた。何しろ300万人の命が失われ、その戦争責任が陛下に集まることを心配した。

豈図らんや、陛下は大歓迎を受けたのである。この反応に驚いたマッカーサーは天皇だけは手をつけられないと思ったに違いない。

今から76年前の話である。

その1年前に日本は、今、ウクライナが侵略を受けてるロシアからウクライナより酷い目に遭った。

宣戦布告どころか、日ソ中立条約を結んでいるにもかかわらずそれを一方的に破棄、さらに日本が降伏をしたことを知りながら樺太から上陸、無抵抗の日本人を無惨に虐殺した。

この虐殺が今また同じように、ウクライナで無辜の市民の殺戮が行われているのだ。

ウクライナの人権団体代表、マトビチュクさんは
「報告されている民間人殺害や拷問、強姦などの規模からみて、ロシアが戦争犯罪を組織的に行っていることは疑いない。その目的は人々に恐怖を与えることであり、そうでもしなければ露軍はウクライナを支配できないということだ」

露軍が親族の眼前で強姦を働くという鬼畜の所業も判明している。

「ウクライナ東部では、避難所とされていた劇場や妊婦らの入院する産科病院までもが爆撃された。首都キーウ郊外のブチャでは、露軍撤退後に民間人4000人以上の虐殺遺体が見つかった。ブチャの人々は戦闘の過程ではなく、露軍の占領下で惨殺された」と語った。

論説委員・遠藤良介氏は2010年、戦後にサハリン残留を余儀なくされた日本人女性たちに取材、8月15日以後の生々しい証言を記録している。

※ 郵便局員だった根本ミヨさん
「どの家の屋根にも大きな白旗が掲げられていたのに、ソ連の航空機はどんどん爆撃した。駅前広場はおびただしい血で、私たちは横たわる死者・負傷者をまたいで山の神社に逃げ隠れた」

※ 魚住笑子さん
「上空の飛行機に、何もわからない子供たちは万歳をしていた。その飛行機が銃撃をした。日本の降伏後にソ連が攻撃することなど思ってもいなかった」

女性はみな、ソ連兵による強姦を恐れ、髪をばっさりと切って男を装ったり、ボロを身にまとったりした。

『大東亜戦争の事件簿』によれば、
「8月14日、葛根廟駅をめざしていた際に戦車群から大規模な砲撃や銃撃を受けた。白旗を掲げて『非戦闘員だ』と訴えたにもかかわらず、戦車は人々をなぎ倒し、兵士らはマンドリンといわれる自動小銃を乱射した。

「葛根廟の丘で繰り広げられたのは、無抵抗な民間人への虐殺であった。ソ連兵たちは倒れている日本人を見つけると、蹴飛ばしたり、銃で突いたりして生死を確認した。息がある者には銃弾を撃ち込むか、短剣を突きさしたりした」

77年後の時を経て今、ウクライナでまったく同じことが行われている。
中国の通州事件に類似するロシアの残虐性は、独裁国家・全体主義国家の必然なのか、日本人は想定できない。

他人ごとではない。このきな臭くなった極東で、日本はどう生きればいいのか。
「平和を希求し、核廃絶を訴え、戦争はしない」と叫ぶだけでこの難局を乗り切れるとは思えないが。

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