アフガン絶望の1年

世界,日本,雑記

Vol.3-9.2-962  アフガン絶望の1年

2022.09.02

米軍がアフガニスタンから撤収して8月30日で1年になる。

別の言い方をすれば、スラム原理主義・タリバンの統治下に置かれて1年が経った。

2001年米中枢同時テロを受けてアフガンを空爆、その後10万人の兵士らを駐留させ統治した。

20年間米軍の駐留を受け治安維持をしてきたガニ政権は何をしてきたのか。米軍が撤収するやいなや、いとも簡単に首都カブールをタリバンに明け渡してしまった。何のための20年だったのか、ガニ政権もさることながら、米軍は撤収する将来を見据え、アフガンに何をどのように残してきたのかさえ疑問に思ってしまう。

アフガン復興に関する米特別監察官は
「アフガンを自立国家に導き米国の安全に脅威を及ぼさないようにすることが目標だとしたら、その結果は暗澹たるものだ」と総括した。

アフガン復興に20兆円、戦費に100兆円以上を投じた。兵士3587人が尊い命を落とした。

バイデン大統領は、一定程度の兵力は残すべきだとする国防総省の勧告を聞き入れず、9月11日までの撤収にこだわった。

バイデン大統領の決定は「タリバンを勢いづかせた」。撤収4日後の、9月15日には首都カブールを制圧されてしまった。20年間の苦労がいとも簡単に水泡に帰した。

このバイデン氏の決定はタリバンを勢いづかせただけではない。
「米国は信用できない」世界中に与えた影響ははかり知れない。プーチンや習近平はこの米国の信用失墜を見逃さなかった。

プーチンは米国の介入はないと判断、ウクライナ侵攻への意思を固めた。中国は台湾の防空識別圏に軍用機を大規模に侵入させるなど中露の結束を強める機会となった。

タリバン制圧後、米軍協力者や崩壊したガニ政権関係者ら「すべての者に恩赦を与える」との宣言は実行されなかった。

アフガン国防省に努めていたマリアムさんは米国と共同でインフラ整備や治安対策を担当した。今はタリバンに命を狙われる日々だ。米国移住を希望したが、米当局から許可がおりない。「なぜ米国は私を見捨てるのか」憤る。

国連の報告によれば、首都陥落から今年6月にかけてタリバンが旧政権関係者ら160人を「超法規的に処刑」した。8月に入ってガニ政権で警察署長だった男性が殺害された。

ガニ政権下で働いたアマヘイル氏はタリバンの本質は変わっていない。とし、米軍撤収をめぐる米国とタリバンの20年の和平合意が、ガニ政権不在のまま締結されたことが、国内の混乱を招いたと主張する。

20年前米国が来た時、「平和と安定が訪れると思った」。
昨年、米軍が撤収する時、一般市民は米軍の飛び立つ輸送機にしがみついた。「米国はなぜすがりつくアフガン人を振るい落としてまで撤収を急いだのか」目に涙を浮かべた。

今、アフガン人は絶望の日々を送っている。

特に女性に対して厳しい。顔をスカーフで覆うのは「女性を守るため」だと言い、女性が単独で公園に入ることすらできない。「公園には他の男もおり、女性が嫌がらせを受ける可能性を防ぐため」だと禁止。親族の男性を伴わない女性の長距離移動は禁止。女性の登校も禁止された。音楽もイスラム的でないと禁止。多くの音楽家はアフガンを脱出した。

貧困は深刻化する一方、ついに臓器を売って命をつなぐところまできた。

改めて、米軍統治の20年はアフガンに何をもたらしたのか。問いたくなる。

市民は今、藁をもつかむ困窮の中にある。
「誰でもいいから助けてほしい」、相手を選ぶ権利すら放棄した。

またもや、この困窮を横目に食指を伸ばしてきたのが中国である。

タリバンにとって中国は心強い援護者だ。欧米諸国と違い、強権支配に寛容である。渡りに船、ついにアフガンも中国抱き込まれるとなると勢力図も大きく変わる。

ウクライナが命をかけて守ろうとしている “ 自由 ” と “ 民主主義 ” は理解できる。しかし、タリバンが命をかけて盲信する “ イスラム原理主義 ” は誰に、どんな幸せをもたらすのか。

タリバン戦闘員はこう断言した。
「国の貧困は知っているが、私たちの信念が最も重要だ。その信念が米国を追い出し、アフガンを救った。タリバンが変わることはない」。

私達は、イスラム原理主義者たちの、異質との共生を認めない不条理に対抗する言葉を持ち合わせない。彼らが信念と称し、力でアフガニスタンを制圧している様相は、中国のウイグル自治区弾圧と何ら変わらない。

近い将来中国マネーで政権を維持し、あらゆる支援で債務漬けになるのは目に見えている。そこにロシアが加わればタリバンは中露の手先としてアジアの重要なパートナーになるのだろう。

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