エリザベス女王 在位70年

世界,日本,雑記

Vol.3-9.12-972  エリザベス女王 在位70年

2022.09.12

エリザベス女王が亡くなられた。権威と華やかさにを兼ね備えた方だった。

世界には天皇、国王、教皇など君主が存在する国は32ある。我々は、その中でも女王といえばエリザベス女王であった。それほど世界に知られた存在だった。その女王が亡くなられたのである。

日本の皇室とはかなり違う歴史を持つ欧州の君主。20世紀初め、約20あった世襲君主制は2つの世界大戦を経て10に減った。革命や共和制移行により、オーストリアやドイツ、イタリアで王室は次々と廃止されていった。

そんな中、英王室が安定を保ったのは、女王の父ジョージ6世が第二次大戦中、空襲下のロンドンにとどまり、国民結集のシンボルとなったからだと言われる。

王室や貴族など、生まれながらの上流階級に対する国民の無条件の敬意は急激に衰退した時代だ。したがって、皇室は戦後の民主化時代にふさわしい役割を探らねばならなかった。女王は数百の慈善活動の後援者となるなど、直接国民と接し、親しまれる王室に生き残りをかけた。

国際政治の舞台でも独特の存在感を示した。外遊は約100ヵ国、260回を超えている。開かれた王室を進化させ続けたのである。「君臨すれども統治せず」という立憲君主制の原則を守りつつ、外交舞台でも王室の発信力を駆使し、英国を支えたのだ。

昭和50年5月には英国国王として初めて日本を訪問された。

興味深い記事があった。

女王訪日中、接遇を担当した外務省儀典長・内田宏氏が女王の発言などを記録していたが、三重の視察を終えて帰京する際、内田氏が「最もご印象の深かったのは」と尋ねた際、女王は「陛下にお目にかかり教えを受けたことです」と即答された。

『女王は孤独なもの』『重大な決定を下すのは自分しかいない』内田氏にそう打ち明けられた女王は『この立場をわかっていただけるのは、ご在位50年の天皇陛下しかおられません』と答えられたと言う。

『自分が教えを受けられるのはこの方しかいない』との気持ちで訪日したことを明かされたのだ。

昭和天皇も英国国王から教えを受けた経験があった。昭和天皇実録には「当時の英国国王ジョージ5世から立憲政治のあり方について聞いたことが、終生のお考えの根本にある旨を述べられた」と記されている。

『陛下のひとこと一言に、私は多くの、そして深いものを感じました。感謝で一杯です』。女王は最後、内田氏にそう述べられたと言う。

昭和天皇在位64年、エリザベス女王在位70年、長きにおいて君主であり続ける運命を予感させるような会話であり、感動的である。その時食された帝国ホテルの料理は “ レーンヌ・エリザベス ” として現在も残っている。

時代の流れというか、生き残った欧州王室は「君主制はなぜ必要なのか」という国民の問いに答えなければならなかったのだ。

エリザベス女王が示したのは「国民に寄り添い、働く君主」の姿である。黒人大統領マンデラ大統領を王宮で最高のもてなしをしたり、王室をウエブサイトで公開するなど、透明度をあげることにより多くの批判にも対応された。

度重なる不祥事、日本人でも人気だったダイアナ元皇太子妃の離婚スキャンダルにパリでの事故死。チャールズ皇太子の不倫相手との再婚。それに追い打ちをかけるように、ヘンリー王子が反対を押し切り、米俳優だったメーガン妃と結婚、王室公務を引退した。

王の権利が制限された現代で、君主は国民に対し何ができるのか。英王室の回答は慈善事業であった。女王は96歳を過ぎてもなお、600以上の慈善団体の総裁を務められた。それらの公務がインターネットを通じて国民に周知され、王室支持につながったという。

即位して70年、王室が民主化の波にのまれる中で最も厳しい時期を乗り切り存続させたエリザベス女王の功績は大変な偉業といえる。世界は最大級の弔意を表した。

女王の死を受け、王位継承順位1位のチャールズ皇太子が新国王として即位した。チャールズ皇太子の人気は決して高くない。はたして女王のように国民の信頼を勝ち得ることができるのだろうか。

女王は「生涯を通じて全身全霊、国民の信頼に値するよう努力する」と誓った通り、トラス新首相を任命したのは死の2日前である。すべてやり遂げ安らかに息を引きとられた。まさに大往生である。

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