二つの国葬が語る国家の姿

世界,日本,雑記

Vol.3-9.18-978  二つの国葬が語る国家の姿

2022.09.18

子供のような政党である。

日本史上最長の政権を担い、戦後レジームからの脱却を旗印に数々の法整備を断行し、来るべき極東の動乱に備えた安倍元首相。その大きな枠組みを知ってか知らずか、モリカケ、桜の会に延々と執着、現政治の悪の根源がそこにあるかのように騒ぎ立て、世界を俯瞰する政治など頭の隅にもない。

その姿がいかに子供じみた恥ずかしいことかも理解できない。立憲を主とする野党陣営。今月執り行われる安倍元首相の国葬への欠席を決定した。

その理由である。
「政府に提出した国葬に関する質問書への回答が14日に届いたが、内容が不十分だと判断した。政府の回答はゼロ回答だ。国会答弁の焼き直しでしかない。不誠実で遺憾だ」

ということだ。国会で議論した以上の回答などあろうはずがない。それを承知で出したと言うことは、欠席するための理由づけの書面が欲しかっただけ。欠席は最初から決まっていたのだ。

<不参加者>
①立憲民主党・執行役員全員 ②共産党 ③れいわ新撰組 ④社民党

<参加者>
①自民党 ②日本維新の会 ③国民民主党 ④NHK党 ⑤参政党 ⑥連合・芳野友子会長 ⑦野田佳彦(立憲・元首相)

ここで不思議に思うのは立憲民主の支持母体である日本労働組合総連合会長・吉野氏の出席である。案の定ネット上では批判が殺到した。

立憲・蓮舫氏はツイッターで「『組合員の視点に立った運動を展開するとともに、全ての勤労者・市民に共感される運動をめざす』連合トップの判断」と記したうえで、「国葬よりも優先されるべきコロナ禍、物価高の労働者支援を政府に求める立場なのでは」と批判し、自らは欠席を表明した。

これに対し芳野会長は
①国葬について政府の説明は不十分だと認識しているが、労働側を代表して弔意を示す必要がある
②海外からの来賓が多いことも踏まえ、労働側の代表としての責任を果たすべきだ
③「国葬の決定プロセス、法的根拠は問題ではある」としつつ、弔意を示すことは分けるべきだ
と述べ「苦渋の決断」であったことを明かした

政府に対しては「国民を二分したことと、多くの人が納得していないことを、政府は受け止めてほしい」と注文をつけた。

例え政治路線が違えど、これが責任ある者の対応である。多くの外国要人が訪日する。立憲はその外交チャンスさえ失くした。

共産党の志位委員長は「参加しないのは当然ではないか」といい。国葬当日には反対デモに参加することをほのめかした。恥の上塗りをしようというのである。国会議員ともあろうものが、国葬という最も厳かな儀式に自ら国を貶める行動に出る。下品の最高峰に達した感がある。

「下品の上塗り」をする政治職人の姿を外国要人はしっかり目に焼き付けることであろう。

一方、9月8日に崩御された英国・エリザベス女王。
一般市民の弔問が昼夜を問わず行われている。最初は長蛇の列程度であったのが、いつの間にか4kmになり、5km、10km、ついには16km。弔問は19日の午前6時半で終了する予定だが、24時間待ちである。

これほどまでに、女王への弔問者が引きも切らない理由とは。言わずもがな、エリザベス女王の「生涯を通じて、忠誠と尊敬と愛をもって皆さんに仕えるよう努力する」との言葉通り、有言実行されたことへの感謝と敬意である。

ただ、それだけではない。勤勉で気品ある君主として時にはユーモアも交える豊かな人間性は国家の象徴として英国が世界に誇れる人物であったことだ。

20世紀に入り、王室はどんどん姿を消していった。イギリス王室が持ちこたえたのはエリザベス女王の功績なくして現在の隆盛はない。

現チャールズ新国王は人気、信頼、気品、全てにおいて女王の足元にも及ばない。
はたして英国王室は信頼を得ることができるのか。

もう、このような女王は2度と現れないという惜別と、王室そのものが終焉を迎えるのではないかという不安が弔問に駆り立てたのではないか。

“ 王室としての最後の別れ ” を肌で感じた英国民。長蛇の列はその表れのような気がしてならない。

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