エベレストで死ぬな!

世界,日本,雑記

Vol.3-9.22-982  エベレストで死ぬな!

2022.09.22

アルピニスト野口健 ― 25歳で世界7大陸最高峰登頂の最年少世界記録保持者である。

今、産経新聞で「話の肖像画」なる連載で自らの半生を綴っている。

外交官の父親と、ギリシャ系エジプト人の母を持ち、ボストンで誕生するという稀有な経歴を持つ。幼少期を父親の赴任先であるニューヨークやサウジアラビアで過ごす。初めて日本に来たのは4歳の頃。本人によれば少年時代は “ フダ付きの不良 ” で ” 落ちこぼれ ” だったという。

高等部在学中に学校の先輩を殴り一ヶ月の停学処分を受ける。停学中の一人旅で植村直己の著書「青春を山に賭けて」と出会い登山を始めたというから人生わからない。以来、植村直己氏を強く慕うようになる。

彼は今、環境活動家で清掃登山でも有名であるが、最初のエベレスト挑戦した時の隊長が環境問題意識の高いニュージーランド人だった。隊長はベースキャンプで「明日はゴミをみんなで拾うぞ」という。体調は最悪、明日はやっと休めると思った時のこの一言に「カンベンしてくれよ」とつぶやく。この人間が将来清掃登山のスペシャリストになるとは不思議なものである。

その時、隊長は「エベレストをマウント・フジ」にしちゃいけない。日本は経済は一流だが、マナーは三流だからな」こう発した言葉に野口氏は大きなショックを受ける。

エベレストの清掃登山は2000年から4年連続実施。ゴミは使用済みの酸素ボンベ、レトルト食品の袋に空き缶。医療器具に排泄物。総量8トンにもなった。

この清掃登山に、日本の山岳会関係者から反発の声が上がったというから不思議である。

大学生の野口がエベレストに登ったことが面白くない。その上、日本隊のゴミを「曝露」するとは何事だ、というわけである。何という “ ケツの穴 ” の小さい連中か、山男のイメージが変わった。

もう一つの意外な「反発」がカースト制が根強いネパールのシェルパだという。
彼らの社会のカースト制度、「シェルパのカーストはゴミは拾わない」というプライドである。しかし、何キロもの排泄物を背負う野口氏をみて、次第に手伝うようになったという。

何事も最初に手掛けるのは大変である。「シェルパ基金」もそうであった。

ヒマラヤで初めてシェルパと一緒に登ったのが18歳の高校生の時だ。隊長は全ての指示を出さばなければならない。彼は、欧米の登山家のように彼らを下僕のように扱うのを嫌った。一緒に食事をとり、一緒のテントで寝た。彼らにどれほど助けられたか数知れない。同じ仲間という意識である。

『僕が一緒に登ったシェルパのうち、実に1/3が亡くなっています。彼らは本当は登りたくない。だけど、生活のために登らざるを得ないのです』

誠実で実直、一本気な彼は、山で親を亡くしたシェルパの子供たちの教育費などを支援する「シェルパ基金」を立ち上げたいと思うようになる。

まだ、20代半ばである。ところが、ここでもバッシングを受けるのである。

「登山家にとって、『シェルパの死』はできるだけ公にしたくない。それをまた “ あの野口が ” ということだったのでしょう。『非難の声が圧倒的でした』」と述懐する。

基金設立から20年。多くのネパールの子供たちが教育機会を与えられて巣立った。最初の10年間は必死だった。「女性に教育はいらない」現地の声に真摯に耳を傾けながらも根気よく説得した。

しかし、やってよかったと思えるのは、こんな嬉しい話を聞く時である。
カトマンズの大学を出て、エベレスト街道の村にある小学校の先生になって帰って来たこの学校の1期生が、「僕らは基金のおかげで学校に行けた。その恩返しのために帰ってきた」と言うのである。感動と共に努力が報われる瞬間である。

あるいは、日本の学校を出て、日本の超高級ホテルに勤め、野口氏を訪ねてきた卒業生は、『日本人に助けられた。日本語ができるようになったら健さんに会いにいこうと決めていました』と尋ねてきた時の嬉しさは言葉にできない。それも日本語がきれいに話せるまで我慢していたというのだ。

野口氏は、立派になった彼らの姿をみると「シェルパの基金」をつくって本当によかったと、この時こそ実感するそうである。

感動話はいくつもある。日本の小学校に行けば、ごく普通に「将来の夢はなに?」と普通に聞く。しかし、夢の無い子どもに夢を聞くのは残酷である。彼らの将来は生まれた時から決まっている。夢という存在を知らないのだ。

ところが、学校に行くようになって「夢」が何か分からなかった子供が “ 夢を語るようになった ”。「医者になりたい」「パイロットになりた」というのである。その言葉を聞いただけで涙が出そうである。

いろんな意味で有名になった野口氏のもとに、石原東京都知事から突然の電話である。

「『野口さんは冒険家だから島に上陸できますよね。状況次第では尖閣に上陸してもらいたい』
尖閣諸島の購入計画を発表した直後のことだった。」

たまたま野口氏は尖閣の固有種である「センカクモグラ」を守る会を立ち上げていた。もし、都による島の購入が実現すれば、その計画が実現するかもしれない。・・・そう心が躍ったという。

しかし、国が突如購入し話は消えた。

今度は野口氏からの要望である。石原都知事に「レンジャー制度をつくりませんか」と懸命に訴えた。ところが「うるさいっ!」と一喝して終わり。

ところが翌日の会見で、「東京都はレンジャー制度をつくることになりました。隊長は野口健。後は彼に聞いてくれ」突然発表したのだ、面食らったのは野口氏である。

かと思えば、台湾・李登輝総統との会談の中で「日本には山を清掃するスペシャリストがいるので派遣する」と話してしまう無断・即決。

何とも愉快な、と言えば失礼かもしれないが、石原氏らしいエピソードだ。よほど気が合ったのだろう。

「それにしても、もしも東京都が尖閣を購入し、石原さんから『尖閣に上陸せよ』と指示されれば、迷うことなく実行に移していた」という野口氏。

「『エベレストで死ぬな。君にはまだこの国のために命を懸けてもらわねばならない』と掛けられた言葉がいまだに頭に残っています」と記している。

石原氏と野口氏の息のあったやりとりが目に浮かぶようだ。ジイも東京都に買ってもらい、野口氏と石原都知事の尖閣上陸タッグが見たかった。残念である。

野口健氏の「話の肖像画」は今も連載中である。

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