鄧小平 48年前に打倒中国を指南す

世界,日本,雑記

Vol.3-10.14-1004   鄧小平 48年前に打倒中国を指南す

2022.10.14

中国共産党の第20回党大会の準備とされる第19期中央委員会第7総会が12日閉幕した。

党大会に向け、習主席は異例の3期目就任を万全にするため着々と権力と権威づけのための改正を進めた。

いよいよ16日、5年に一度の「第20回共産党大会」が開幕する。習総書記はどのような内容の政治報告をするのか、世界は固唾をのんで待っている。

この党大会を前に、作家・譚 璐美氏が「日本は中国に物申すとき」と題したコラム記事を寄せた。

譚氏は、名前のごとく中国人の父と、日本人の母を持つニューヨーク在住の作家である。
父は中国革命運動に参加し日本へ亡命した経歴を持つ。

譚氏自身は東京生まれ。幼い頃から父に連れられ中国や香港を行き来していた。慶應義塾大学文学部卒業。慶應義塾大学講師、広東省中山大学講師などを経て文筆家に。

そんな譚氏のコラム記事はなかなか興味深く、ある意味衝撃的である。
まず、譚氏は、日本と中国を「友好」と「非友好」の間で振り子のように揺れ動いてきた50年と評した。

その一部を紹介したい。

「1972年の日中国交正常化」で、中国フィーバーが巻き起こり、80年代には、最高指導者の鄧小平が『改革開放』政策を提唱したことから、『世界で最後に残された巨大市場』を目指して世界中の企業が中国へ押し寄せ、合弁事業が花盛りになった。」

ただ、その後の日中経済交流は戦争の過去を引きずり、一筋縄ではいかなかった。

「・・・『友好』関係に大きな衝撃を与えた1981年の上海・宝山製鉄所の建設契約を中国が一方的に破棄した危機。中国の無節操な国際契約による外貨不足が原因。友好関係に大きな衝撃を与えたが、日本政府の3000億円の資金協力で再契約、1985年やっと高炉に火がともされ、最大の試練を乗り切った。」

「その後、日中貿易は軌道に乗ったかに見えたが実態は覆い隠された。1985年、私は日本のある金融機関チームに参加し、中国沿海部の100社近い合弁企業を視察したことがある。想像を絶するほどひどかった。

合弁パートナーである中国側の
①不正経理 
②人事雇用の私物化 
③地方役員や警察と結託した汚職と窃盗 
④日本側を脅す目的で工場の玄関先で犯罪者の銃殺刑すら行われた。日本の責任者は刃物で脅され、住まいのガス、水道、電気を止められて日常生活もままならない例もあった。」
というのだ。
たかが今から37年前の出来事だ。信じられないようなことが起きていたのに「友好」を前に封印されたということか。

この事実を雑誌に掲載すると。ある県の日中友好協会の会長から「このようなことを書くのは日中 “ 非友好 ” である。会って直談判申しつける」と、これまた信じられないような激しい批判が届いたというではないか。何という腐りきった日本人であることか。こんな日本人がいる限り、日中関係は歪のまま、真の友好などありえない。今もそうである、ウイグル弾圧を見て見ぬふりをする様はそっくりである。

作家・門田隆将氏ではないが、対中国にはいつも「させていただく」ものだという。そこまで卑屈になる日本とは、、、いくら考えても理解できない。

譚氏は、天安門事件を振り返り、
「天安門事件とは、中国が経済発展する中で、社会主義と資本主義が激しくぶつかり合った末に起きた『天下分け目』の大決戦。学生たちの言い分は正しかった」と述懐する。

「ジョージ・オーウェルの著書『1984』は、全体主義を描いた未来小説で、学生たちが抱いた危機感は、そのまま今日の中国の姿に通じる。『私は祖国を愛している。でも、祖国は私を愛してくれるのか?』と、SNSに書きこんだカナダの中国人留学生の言葉が忘れられない。中国人は外国人が思う以上に苦しんでいる」と慮った。

最後に1974年、国連第6回特別総会における鄧小平の演説の一節を紹介している。
「もしも中国がいつの日か変節し、超大国となり、しかも世界の覇権を握り、至るところで他国をいじめ、侵略し、搾取するようになったなら、その時には、世界の人民は、中国のことを『社会帝国主義だ』と非難し、中国の悪事をあばき、中国に対し、そして中国人民と協力して中国を打倒すべきです」

何という鄧小平の演説であろうか。中国を率いた男だからこそ言える言葉だ。中国の本質を知り抜き、50年後の中国をズバリ予言した。果たしてどのようにして中国人民と協力すればいいのか。16日に開幕する党大会で習総書記が異例の3期目を決定した暁には真剣に、鄧小平氏の指南演説に則り「打倒中国」を考えなければならない。

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