鉄道開業150年と東京駅

日本,雑記

Vol.3-10.16-1006   鉄道開業150年と東京駅

2022.10.16

日本に鉄道が開業して14日で150周年を迎えた。

150年前に、新橋―横浜間を初めて走った日本の鉄道。昔から疑問に思っていたことが1つある。何故、東京―横浜としなかったのか。ずーと不思議に思っていたが、敢えて調べることもしなかった。この度の鉄道開業150年で初めてその理由がわかった。もともと東京という地名もなければイメージもなかった。

150年前に新橋―横浜間で始まった日本の鉄道網は以後、急速に発展を遂げる。

明治16年には山手線上野駅、18年に新宿駅や渋谷駅が次々と開業。上野駅から現在の東北本線が段階的に北に延伸し、明治24年には青森駅に到達した。南側の新橋からは東海道線が神戸に達した。

このように南と北に鉄道と物流が伸びる中、そのジョイントとなる中間地点に「中央停車場」構想が持ち上がったのだ。これが待ちに待った『東京駅』の誕生へとつながるのだ。

当時、皇居の東側に位置する建設予定地一帯は陸軍用地で、明治23年に三菱が払い下げを受け、「三菱ケ原」と呼ばれる広大な空き地となっていた。

ただ、上野―新橋を結ぼうと思うと市街地を縦断するため用地買収が容易でない。そのため品川を起点に東京市街の西側を迂回するルートが先に進められることになった。

東京駅は後回しになったのである。

その後、日清戦争を挟んだ明治30年になってからだ。ようやく、用地買収が進む中、ドイツ人技師のバルツァーが駅舎の設計担当に決まった。

ここでも、バルツァーの勧める和風駅舎か、西洋文明に近づきたい西洋建築を押す日本とのせめぎ合いがあり、建築家・辰野金吾がルネサンス様式を基調とした「赤レンガ駅舎」の設計が終わるまで7年を要した。その間には日露戦争、財政難、及び全長300mを超える前例のない大型建築の設計、工事の長期化もあった。

開業は着工から6年9ヶ月を要した。鉄道が開業してから42年が経ちついに東京駅が誕生した。大変な難産だった。

『東京駅』の名称も直前に決まったそうである。工事に携わった作業員は延べ74万人。まさに明治、大正の熱気を凝縮して誕生したのが『東京駅』なのである。

「首都・東京の顔」になった “ 赤レンガ駅舎 ” 、残念ながら、先の大戦での東京大空襲でドームや屋根が焼け落ちてしまった。戦後すぐに復旧されたが、応急的な措置であった。

時が経ち「首都・東京」の『顔』にふさわしい景観整備が必要と、駅舎を当初の姿に戻す基本合意されたのが平成14年、ついに計画が発表された。

実に62年経って本格的に改修工事が始まったのである。同時に耐震化工事も実施、総事業費500億円の一大プロジェクトとなった。

駅舎が重要文化財に指定されたことで材料や手法においてより精緻な技術が要求された。作業は影響のでない午前1時~4時に限られた。

関東大震災を支えた11000本にも及ぶ地下のマツのくいを撤去、特殊ゴムを使った免震装置に置き換えられた。

こうして、5年半の長期にわたる作業の末、現代の最新技術に支えられた歴史的建造物が “ 誕生 ” した。

東京駅は単なる通過点にとどまらない。
駅長は「将来にわたって国内外の多くの人々に愛され、出会いと別れの1ページを刻み続けられる丸の内駅舎であってほしい」と語った。

この復原に関わった全ての人にとって、東京駅は見上げるたびにその仕事に携わった日々が、誇りと共に蘇るのではないだろうか。

プロフェッショナルが技術の粋をつぎ込み、威信をかけてやり遂げた芸術作品。その東京駅が皇居前、東京の玄関に威風堂々と佇む姿は日本の誇りである。

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Posted by 秀木石