消え失せた “ 男子の本懐 ” なる精神

日本,,雑記

Vol.3-11.12-1033 消え失せた “ 男子の本懐 ” なる精神

2022.11.12

葉梨康弘法務大臣。

就任3ヶ月でGood-bye. “ 地味な仕事で ” せめて散り際は “ 派手に ” と頑張ったのであろう “ 夜7時のニュースのトップをとった ” のは立派としか言いようがない。

父は医師、恵まれた環境で育った葉梨氏。東大法学部を卒業後、警察庁入庁。警察庁刑事局を皮切りに警察本部刑事課捜査第二課長や外務省在インドネシア日本国大使館一等書記官などを歴任。衆議院議員の葉梨信行の娘と結婚。

その後、警察庁を警視正で退職。同年3月、葉梨信行の秘書になる。
2003年の第43回衆議院議員総選挙に茨城3区から、葉梨信行の後継として立候補し、初当選した。

義祖父の葉梨新五郎の代から数えて三代目の世襲政治家となった。

優秀なのであろう、まさに絵に描いたような順風満帆な半生。エスカレータ、いやエレーベータに乗ったまま今日を迎えたような人生である。

人並みの苦労などという場面を想像しようにも、その気配さえ感じとれない。涙に感動という言葉さえこの人生からうかがい知ることはできない。

ましてや、今回更迭になった問題発言を聞く限り、死刑を宣告された人間の人生に思いを巡らすなど端からなかったであろう。

こんな人間も世の中にはいる。幸せなのか、不幸なのか市井の人間には理解しがたいほど遠い存在である。

ところで、その問題発言である。

「法務大臣というのは、朝、死刑のはんこを押して、昼のニュースのトップになるのはそういう時だけという地味な役職だ」

「今回は旧統一教会の問題に抱きつかれてしまい、一生懸命、その問題の解決に取り組まなければならず、私の顔もいくらかテレビで出ることになった」

「外務省と法務省は票とお金に縁がない。外務副大臣になっても、全然お金がもうからない。法相になってもお金は集まらない」

これが東大出?岸田派に所属していた葉梨氏だ、同じグループにいながらその人間性を見誤った岸田総理にも今回ばかりは大いに責任がある。

産経抄がこんなことを書いていた
「 宮崎死刑囚の死刑が執行されたのは、平成20年6月17日だった。当時鳩山邦夫法相の下、執行は13人に上った。翌日の朝日新聞夕刊コラムは鳩山氏を『死に神と呼び、抗議が殺到する。

鳩山氏は翌年インタビューに
『執行前日には必ず自分の先祖の墓を参った。初の死刑執行以後、現在まで毎朝、自宅でお経を唱えている』。死刑執行命令を下すまでには、膨大な資料を読み込んだ上で判断した。

※ 法相就任後の際、『為政清明』という大久保利通の座右の銘で決意表明したのが、上川陽子法相である。3度目の在任中に16人の執行を命じている。・・・その中には、オウム真理教による一連の事件に関わった6人が含まれたいた。上川氏には後継団体から報復の恐れがあるとして、警備が強化された。・・」

法務大臣とは辛く厳しい仕事である。人間が人間を裁くことの難しさは心を空にしてなお残る判断への葛藤であろう。しかし、その前に絶たれた命にどう報いるかも難しい問題である。

そう考えると、法務大臣こそ心ある人にのみ務まるポストである。今回は最悪の人事であったと言わねばならない。

更迭される前に謝罪の言葉があったが、あまりにも空しい。人はそう簡単に変われるものではない。

その昔、“ 末は博士か大臣か ” と出世の代名詞のように言われた時代があった。城山三郎の長編小説『男子の本懐』は濱口雄幸内閣総理大臣と井上準之助大蔵大臣を主人公とした歴史経済小説である。濱口総理は狙撃されその傷が遠因となり死去するが、「殺されることがあっても男子の本懐である」と述べたことがこの本の題名となった小説である。

悲しいかな、今や、その面影すらない。

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