カタール・ワールドカップ

スポーツ,世界,日本,雑記

Vol.3-11.18-1039  カタール・ワールドカップ

2022.11.18

11月20日、カタールでサッカー ワールドカップが開幕する。

カタールで思い出すのが「ドーハの悲劇」である。

1994年FIFAワールドカップアジア地区最終予選が、1993年10月28日にカタールの首都・ドーハのアルアリ・スタジアムで行われた。

第4戦終了時点で日本はグループ1位となり、初の本戦出場に王手をかけていた。

しかし最終第5節で、試合終了間際まで2-1でリードしていながら、ロスタイムにイラク代表に同点ゴールを入れられ、一転して予選敗退、天国から地獄へ落ちた。

日本中が歓喜から落胆に変わった。コートに倒れ込むもの、呆然と芝生に座り込む選手、ワールドカップ出場が後一歩で消え去った瞬間である。まさしく悲劇であった。

日本ではドーハの悲劇で一躍有名になったカタール。
アラビア半島東部のカタール半島のほぼ全域を領土とする半島の国で、面積は日本の秋田県と同程度。

周囲をペルシア湾に面する。南はサウジアラビアと国境を接し、ペルシャ湾を挟んで北西はバーレーンに、北はイランに、東はアラブ首長国連邦に向かい合う。国土の全域が砂漠気候にあり、年間降水量はたったの100ミリ。

1971年にイギリスの保護下から独立。1940年に発見された油田によって潤沢な資金を得て、労働力として外国人を移民させることにより、20世紀後半以降近代的に発展を遂げた。

2019年現在も石油や天然ガスの関連産業が国内総生産の6割強を占める。人口は約285万人(ほぼ広島県)であるが、このうちカタール人は1割強で、残り9割弱が南アジアや東南アジアからなどの外国人労働者である。男性労働者が大量に流入しているため、住民のうち4分の3が男性だそうだ。

1960年代当時は首長国が単独で独立国家となるのは難しいと考えられていたが、アラブ首長国連邦の一部になることを断り、カタールは1971年9月3日に単独で独立した。バーレーンと同じく高層ビルが乱立する一大都市になった。

2015年の一人当たりGDPは世界第5位、一人当たり国民総所得世界第2位。一時は一人当たりGDPで世界一を誇ったことから「世界でもっとも裕福な国」と呼ばれた。

豊富なオイルマネーにより国民は所得税がかからない。さらに、医療費、電気代、電話代が無料、大学を卒業すると一定の土地を無償で借りることができ、10年後には自分のものとなる。

恐ろしくうらやましい国だ。

2019年2月3日に中島翔哉がカタール、アル・ドゥハイルへ移籍した際の移籍金は「約43億7500万円」にものぼり、2001年に中田英寿がセリエAのパルマへ移籍した際の「約32億円」を大幅に上回る、日本人史上最高額となった。

アラブ首長国連邦で行われた2019年大会では、決勝で日本代表に3-1で勝利し悲願の初優勝を果たしている。

そしてついに「FIFAワールドカップカタール2022大会」を引き寄せた。

「世界一退屈な都市」とまで言われた首都ドーハ、天然ガス資源のお蔭で世界有数の都市に生まれ変わった。その急激な発展の中で、近隣国のサウジアラビアなどイスラム諸国から国交を断絶されるという時期もあったが、和解し何とか乗り切った。

今回のFIFAワールドカップ開催の決定後にも問題が浮上。スタジアムの建設などで外国人労働者3万人を動員。不衛生な住居や強制労働、給料の不払い。英紙ガーディアンは、開催決定後6500人の外国人労働者が死亡したと報じている。

また、カタールのW杯大使は、同性愛は「精神の傷」だとし、訪れる外国人は「この国のルールを受け入れるべきだ」と述べ、欧米メディアに批判された。

イスラム教の教えで、カタールでは公共の場での飲酒は禁じられており、開催期間中の飲酒もスタジアム周辺などに限定される見通しだ。

他に誘致に関して賄賂の問題も浮上。FIFAの会長だったブラッター氏は、カタールを選んだのは「悪い選択だった」と述べる始末だ。

はたして20日に開幕するワールドカップ、FIFAは「スポーツにイデオロギーや政治的争いを持ち込まず、サッカーに集中するように」と要請する事態になった。

イスラム圏で初めてのWカップ。森保JAPAN、ただただ、“ ドーハの悲劇 ” を葬り去り、“ ドーハの歓喜 ” に変えてほしい、そう願うばかりだ。

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