田舎の法事
Vol.2-04-21 田舎の法事
2020.02.04
先日、母の法事があった。
葬儀も墓も法事も時代の流れと共に変わった。
都会では家族葬が増えてきたようだが、田舎でも時代は流れている。昔のように近所の人が自宅に集まり、料理作りから葬儀の一部始終を手伝うというようなことはなくなった。
葬儀場が整備され一切を仕切ってくれる時代だ。
喪主を始め家族は設定された式場で、来場者に挨拶をする程度で済むようになった。
ただ、違いと言えば、自宅で行う49日法要以降の儀式だろう。
まず、お坊さんだ。顔なじみや同級生や先輩、後輩など、あるいは比較的寺が近いため何かと寺との関わりがあって、親しみの度合いは都会とは雲泥の差がある。
49日法要にもやはり馴染みの坊さんだったようだ。
ジジイよりちょっと若いお坊さんだったが、なかなか面白い話をしを交え、落語さながらの法要だった。
お坊さんは、法要が始まるほぼ10分前に到着。
田舎の家だ、広い畳部屋二部屋を開放、十数人の親族を前にやおら風呂敷を解き、着替えを始めた。
静かな雰囲気のなかで自然、坊さんの一挙手一投足に目がいくのは自然の流れだ。
静まり返った部屋で、坊さんが口火を切る。
「まあ、何ですな、たくさんの人の前で着替えるのもちょっと恥ずかしいもんですな、」
と一言、この一言で若干の笑が起き、場は一気に和んだ、
本題の落語に入る前のさわりの如く、、、もちろん着替えながら
「この袈裟というものはですな」と話が始まった。
「「三条」「五条」「七条」「九条」とありましてな、私なんぞはまだ下っ端なものですから、三条をつけておりますが、天皇の前に出るような坊さんは「九条」という最上級になるんですね、まあ、私なんぞは金輪際ございませんが、その上になるとこれはもう¨大げさ¨ということでございません」
とオチをつけたところでお経に入った。
約30分で一呼吸を入れお茶の時間となる。
一旦仏前から下がり、また一席
「今年は岐阜にも縁があるNHK大河が始まりましたが、よく見てる人がいるんですね~、背景にあった仏像の手の開きが違うと言ってNHKに電話をしたそうです、、、」と事の成り行きを一部始終話した後、実は私も大河ドラマを見てNHKに電話したことがあるんです」
とまるで落語のように場を盛り上げながら、仏事に流れを変える。
「皆さんに質問ですが、愛情の反対は何だと思われます?」と問いかける。
誰かが、「恨み、妬み、怒り」ではとそれらしいことを言う。
「大体そのように思いますね、しかしあの有名なマザー・テレサがこういったんです」
「「それは無関心です」」と「なるほどなと、私はうなづきました」「例え悪口であっても若干の愛が潜んでいる」と、言葉の深みを説くように頷いてみせる。
最期に、仏の逸話を一つ
「雪山にハリネズミが2匹いたんです。寒いから普通は肌を寄せ合うのが一番いいんですが、相手の針が痛くて肌を合わせられない。さてどうするか」
「お釈迦様の弟子が「適度な距離を保つ」と名答する」
「なるほどなと膝を打つところだが」、と、
そこでお坊さんの説明が入る。
「さすがお釈迦様、もう一言これに付け加えられたんです」
「相手の針ばかりに目が行きがちだが、自分にも針があることを忘れておる」と、含蓄のある言葉でしめ、最期の読経が始まった。
田舎の良さであろうか、世間話に花が咲く人間世界の暖かさ。
形式で動くだけでなく、寺と坊さんと庶民の暮らしが生きている。
人と人、相手への思いやりと、怠ることのない謙虚さが必要という事であろうか。