2024 フランスオリンピック
Vol.5-7.30-1155 2024・フランスオリンピック
2024-07-30
2024フランスオリンピックが始まって5日が経った。
鉄道妨害など緊張の中で始まったが、その後平穏無事に進んでいることに安堵する。
警備にあたる警察に軍、その関係者やボランティア、緊張の日々は日中だけでなく夜間も含めてである。そのご苦労は察するに余りある。無事に終わることを祈りたい。
初めての水上での式典で始まったフランスオリンピック。4年に1度の世界の祭典はスポーツ選手にとって最高の舞台である。そのオリンピックで『金メダルを取りたい』というのは選手だけでなく、国民共通の願いでもある。
だからこそ、そこには悲喜こもごものドラマが生まれるのだ。
5日現在のメダル獲得数、日本は中国についで2位、新聞の ❝ メダルラッシュ ❞ という活字がその好調ぶりを示している。
毎回、何かしら新しい競技種目が出てくるが、今回は日本でも人気の「ブレイキン」が追加された。
その中で競技前半に注目を集めていたのが柔道である。
このオリンピックで2連覇となる阿部兄弟のダブル金メダルへの期待度は大きかった。
しかし勝負は残酷である。金メダル候補として誰もが認めるその阿部兄弟の妹の詩選手が2回戦で1本負けしたのだ。これには本人もさることながら日本中が驚いた。
勝負は詩選手が優位に進む中、一瞬のスキをつかれたものだった。呆然とする詩選手の表情は ❝ うそでしょ ❞ と、言わんばかりに今起きたことが俄かに信じられなまま座り込んだ。あまりにもあっけない幕切れに彼女自身も放心状態になった。
現実を受け入れられず壇上を降りる姿は哀れそのもの、コーチに抱かれたとたん号泣である。
❝ まるで赤ん坊のように ❞ と表現した新聞記事もあったが、絶叫に変わった。コーチに抱きかかえられても泣き止むことのない絶叫に似た号泣にジイは異常性を感じた。
日本において、かつて武道は精神修養の場でもあった。現在もその性質は持ち合わせているのだろうが、その意味で絶叫的号泣は異様であり残念に思えた。
日本の武道、相撲も剣道もしかり、勝ってガッツポーズをする競技ではないところに武士道精神が潜む。
負ければ悔し涙こそ流しながらも、控室までは歯をくいしばり人目につかない場所で号泣してほしかった。涙が枯れるまで思いっきり号泣するなりわめきつくすのも結構、「日本の武道人であるなら」と思った次第である。
多くの視聴者やフランスの観客は ❝ 詩コール ❞ で慰めようとしたが、ジイには素直に受け入れることができなかった。日本武道にはありえない情景だった。
何故、そこまで絶叫ともいえる号泣に至ったのか。
前回の金メダル以降も負けなしの強さを誇る兄弟。日本どころか世界も認める柔道界の最強兄弟だ。ただ、勝負に負けただけの心境ではなかったはずだ。
24歳の彼女はマスコミを中心にまるで ❝ アイドル? ❞ 扱いされた。金メダルプラス、❝ アイドル ❞ という新たな価値が加わった。その2つを同時に失う恐怖があったのではないか。
柔道が正式にオリンピック種目となったのが1964年(昭和39東京オリンピック-女子1992平成4)。その時から日本柔道ではなく、世界のスポーツとなった。
柔道が武道からスポーツなった現在、武士道精神を彼女に求めるのは酷なのかもしれない。
金メダルを逃した私に『何が残る?』とまでは言わないまでも一瞬にしてすべてを奪われた感覚に陥ったのではないか。競技翌日に会場で観戦する表情にショックの大きさがまだ残っていた。自分を整理するまで少々時間がかかるかもしれない。
阿部兄弟は簡単に強くなってきたわけではない。素質や柔道に取り組む姿勢の素晴らしさもニュースは伝えていた。
検証記事の中に『一瞬のスキ』という指摘もあった。サイボーグではない人間である。すべてが完璧というわけにはいかない。しかしそんな中で金メダルを取るのだから価値がある。
かつて、五千円札の顔となった新渡戸稲造は、海外で日本の道徳の基本を聞かれた時のことをこう述懐している。
「著名なベルギーの法学者、故ラヴレー氏の家だ歓待を受けて数日過ごしたことがある。ある日の散策中、私たちの会話が宗教の話題に及んだ。
『あなた方の学校では宗教教育というものがない、とおっしゃるのですか』とこの高名な学者がたずねられた。私が『ありません』という返事をすると、氏は驚きのあまり突然歩みをとめられた。そして容易に忘れがたい声で、『宗教がないとは。いったいあなたがたはどのようにして子孫に道徳教育を授けるのですか』と繰り返された。
その時、私はその質問に愕然とした。そして即答できなかった。なぜなら私が幼いころ学んだ人の倫(みち)たる教訓は、学校で受けたものではなかったからだ。そこで私に善悪の観念をつくりださせたさまざまな要素を分析してみると、そのような観念を吹きこんだものは武士道であったことにようやく思いあたった。(序文)」(武士道:新渡戸稲造/三笠書房)
そうして新渡戸稲造は英文で武士道を書き上げ、世界に向け日本の道徳の基本理念を発信した。従って原本は英文である。
日本は古来、道徳は武道から学んできた歴史がある。他のスポーツと違って礼に始まり礼に終わる等々、精神修養の側面を持つ。
スポーツになった柔道、せめて日本人は武道として、柔道の香りを背負って戦ってほしいと思う。
詩選手も将来、指導者の道を歩むかもしれない。あるいは、別の道を歩むとしても敗者として経験がきっと生きると信ずる。
もう一つ、このフランスオリンピック、柔道着が『白』でよかった。
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