ニュースの力

雑記

Vol.1-5.5-112 ニュースの力

2020.05.05

どんなに素晴らしい脚本のドラマでも現実を目の前にした生々しい映像には勝てない。

今から45年前、1972年2月に起きた浅間山荘事件。この事件は「警察当局に追い詰められた連合赤軍が人質をとり長野県軽井沢にある浅間山荘という保養所に立てこもった事件」だ。

山荘で留守番をしていた管理人の妻を人質に立てこもった。警察は山荘を包囲。10日間におよぶ攻防戦だった。現場は雪に埋もれた真冬の南軽井沢。気温は時に氷点下10度になることもあった。あまりの寒さに弁当はもちろん、靴まで凍ったという。

その寒空の下、機動隊員らが日清食品の「カップヌードル」を食べる姿がテレビで映し出されことがきっかけで、一気に知名度が高まったとされる副産物まで生んだ。

ジイは今でもはっきり覚えている。
テレビをつけたら現場の映像が映し出されていた。静かに見える山荘を下から見上げる映像と、わずかな動きがある機動隊の姿のみしか映らない。まるで静止画像を見ているが如くだった。

朝、テレビで見た映像が何の動きもなく昼に見る。夕方も全く映像は動かない。ただ動かない山荘が画面にあるだけだ。テレビから流れるアナウンスは時折動きのある警察や機動隊の動きを伝えるのみ。「少し動きがあったようです。」程度だ。何の動きもアナウンスもない無言の映像の緊張感に国民は釘付けになった。最高視聴率は89.7%だというから驚きだ。
未だかつてこのような映像は見たことがない。

この事件を思い出したのは、今回の新型コロナウイルスのニュースだ。
1月後半からだろうか。朝・昼・晩のトップニュースは必ずと言っていい、「新型コロナウイルスのニュースだ」これはNHKだけに限らない。民放も全く外すことはない。
それだけではない、ニュースバラエティも報道番組もこの5月の今日において変わらない。
まる5ヶ月間、朝・昼・晩のトップニュースとニュース情報番組にチャンネルを合わせれば必ずコロナウイルスの映像が間違いなく流れる。

普通これだけ流されれば、「もういいよ」ぐらいになるものだが、視聴者も決して飽きない。飽きないという性質のものではないが、この期に及んでもそのニュースを食い入るように見る。
浅間山荘事件も新型コロナウイルスに共通するものは、喜・怒・哀・楽で言えば、「怒」そこに「命」の危機という2つのキーワードが浮かぶ。

浅間山荘の犯人に対する¨怒り¨と人質の方の¨命¨、新型コロナウイルスに対する¨怒り¨と己の¨命¨への恐怖。
命は分かりやすいキーワードだが、果たして怒りとは。あまり良いイメージがわかない怒り。時として他者に対する怒りを思い浮かべる。しかし、自分の弱さに対する「怒り」、何かを成そうとして出来なかった自分への「怒り」もある。

そこで思いだした「怒り」があった。
1991年(H3)マイルス・デイビス(黒人jazzトランペッター)が亡くなった時だ。
NHKの追悼番組に由井正一(jazz評論家)と吉田ルイ子(フォトジャーナリスト)がコメンテーターとして呼ばれた。

番組の最後だった。NHK女性アナウンサーが両人に聞いた。
「マイルス・デイビスが長きにわたりジャズシーンのトップであり続けることが出来た原動力はなんだろうと思われますか?」と問いかけたのだ。

由井正一氏は目を泳がせ回答に窮した。
女性アナウンサーは吉田氏に向かって、その原動力とはと振った。

吉田ルイ子氏は「ブラックに対する¨怒り¨」と力を込めて語った。
う~ん、さすがルイ子。ジイは納得したのを覚えている。

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Posted by 秀木石